時は近未来。
全世界を巻き込んだ第三次世界大戦――通称アルティメットウォーの戦禍は、人類と地球に多大な爪あとを残した。
大地は荒廃し、水や大気もことごとく汚染され、深刻な影響は、環境だけでなく生態系にまで及んだ。もちろん、人間も例外ではない。
それでも人類が生き永らえられたのは、テクノロジーの飛躍的な発展のおかげだった。
その最たるものが、人工都市「ドーム」と、体を機械で補う技術、ブレイン=コンピュータ・インターフェイス(BCI)だ。
物語の主人公瀬那は、「神の子――ゴッドチャイルド(GC)」と呼ばれる奇跡の子だ。身体のどこにも人為的な手が加えられていない無垢な人間。けれども、機械の体が当たり前のこの時代では、マイノリティにすぎない存在。
政府は、そんなGCを、平和維持の切り札と考えていた。国を司るスーパーコンピュータ「ゼウス」とリンクさせることで、不穏分子の根絶を密かに企てていたのだ。
ある日、瀬那の通うサンクチュアリ・スクールに、季節はずれの転入生がやってきた。
転入生の名前はノア。彼の目的は、政府の命令で「ゼウス」と瀬那を接触させることだった。
ところが、瀬那とのコンタクトを繰り返すうちに、事態はとんでもない展開を見せ始めた。意思を持って暴走しだした「ゼウス」が、ノアの成果を待たずに瀬那との融合を試みたのだ。
ノアは、「ゼウス」のそんなやり方に反発を示し、最終的に政府を裏切り瀬那を選んだ。
そして瀬那も、世界のありように疑問を覚え、家族や友だちを捨てノアを選ぶ。
やがてふたりは、政府の追及を逃れるため、ドームを出て一緒に暮らし始めた。
しかし、ふたりの平穏な日々は長くは続かなかった。瀬那とノアを狙う魔の手は、着実にそこまで忍び寄ってきていた。
■ 1st. Movement ― 警鐘
夜空を行く夢を見た。天の川を裸足で駆ける夢。無数に散らばる星を蹴散らし、ただひたすら走り続けている。
風になったかと錯覚してしまうほど体が軽い。
普通なら、こんなムチャをすれば、必需品の「マスク」のせいでたちまち呼吸困難に陥るというのに、今はそれもまったくなかった。
無防備に素顔をさらした状態はずいぶんと久しぶりだ。すごく気持ちがいい。心肺機能の脆弱さからくる息切れすら感じない。開放感に、思わず歓喜の声が出た。
ひとりではなかった。手をつなぎ一緒に走る人がいる。視線の端に短めのプラチナブロンドが揺れている。
「すごいね。このままどこまでも行けそうだ」
唐突にかけられた声には聞き覚えがあった。たぶん、自分が今一番よく知る人物のものだ。その主を確認しようと向けた目が、オレを見つめる灰褐色の瞳とぶつかる。
「ねえ、瀬那(せな)。このままふたりで星になってしまおうか。クズ同然になってしまったこの地球(ほし)で、人として生きるなんて無意味に等しいよ。素晴らしい生き方は、もっとほかに必ずある」
およそその人らしくない歪んだ内容の台詞に、ふと戸惑いを覚えた。さわやかな口調がどこか恐ろしくさえある。
「星は永遠に輝き続ける。あの星たちと同じように、ふたりでこの世界の神になるんだ。それだけの価値が瀬那にはある」
ここで初めて、自分がとんでもない思い違いをしているのだと気づいた。
目の前の人物はオレが考えていた人じゃない。あいつは、こんな思い上がったことなど絶対に言わない。
……おまえは、いったい誰?
同じ顔、同じ姿をしているというのに、まったくの別人だとわかり、にわかに心が乱れる。
「今でもこんなに君を求めているのに、どうしてボクを拒んだの?そんなにボクよりあいつが大事?」
まさか、「ゼウス」……?
けれども、「ゼウス」の人格だったコアは、あの時オレが破壊したはずだ。リオの力を借りて、やつを永遠に葬ったというのに。
ならば、なぜここにいる?
導きだした答えの矛盾に翻弄されていると、決定的ともいえる台詞が相手から発せられた。
「本当にひどいよ。君がまさかあんな真似をするなんて……。苦しかった。死にたくなかった。ボクにも、ちゃんと人間としての感覚は残っていたんだよ。生命維持装置を止めれば、ボクが死ぬと瀬那も理解していたんだろう?」
話が具体的になるにつれて確信は深まっていった。
声の主は間違いなく「ゼウス」。――ノアの双子の「兄」のレダだ。
「ボクは君をあきらめない。絶対にボクのものにしてみせるよ。あんなレプリカなんかに君を渡してなるものか」
これは夢だ。現実じゃない。
だけど、自分の夢にレダが出てきた理由がわからない。そして、なぜここまで執拗にオレを求めるのか、そのわけも。
「あいつは君をだましたんだよ?なのに、なぜそうやっていまだに一緒にいるの?」
「……違う。ノアは真実を知らなかっただけだ」
しゃべれるかと一瞬不安になったが、ちゃんと声にして応じられた。
でも、オレの返事はレダには我慢できないものだったようだ。
「どうしてノアを庇うのさ」
――それは、ノアが自分と同じだから。
そう答えようとしたが、心にプレッシャーがかかり今度は口にできない。
「信じない方がいいよ。あいつはまだラボの手先に変わりはないんだから。見ていてごらん。今にきっと瀬那を裏切る。そして君は後悔するんだ。ボクを選ばなかったことをね」
いくら夢とはいえ、レダとこんな会話を交わすなんて、もしかしたらオレは心のどこかでノアを疑っているのだろうか?本当は信用していないとでも?
一瞬、自分がわからなくなってしまう。
「ああ、残念。もうじき夜明けみたいだ」
レダの呟きに俯いていた顔を上げると、なるほど周囲の星の影が薄くなった気がする。
その時、レダではないもうひとりの声が交錯するように耳に届いた。
「……せ…な」
目覚めを促す優しい呼びかけ。
「どうしたの?……大丈夫?」
レダと同じトーン。でも、まとう雰囲気がはっきり違う。
――ああ、この声。今度こそ間違いない。こいつはオレの大切な友だちだ。
「くそっ、またあいつか。……本当にどこまでもじゃまなレプリカだな」
呼びかけはレダにも聞こえたらしく、いきなり憤慨を露にした。
「今日はここまでだね。でも、覚えておいて。ボクは今でも君を求めている」
それは無理だ。いくら求めると言われたところで、レダはこの世に存在しない。
――なぜなら、オレが殺した。オレが、生きているレダを……殺したのだから。
急激に感情が高ぶり始めた。人を殺めたという過去が、有無をいわさぬ勢いで自分に重くのしかかってくる。
アレは表向きは殺人ではない。破壊だ。でも本質は違う。己の精神の安定のために、壊したのは人じゃなかったと無理やり自分に思い込ませているにすぎない。
「悔やむくらいなら素直になってよ。――また会おう。今度はこんなかたちじゃなくて……実体同士でね」
レダから伸ばされた手がオレのほおをかすめる。そのまま、指先が生々しい傷跡が残る左耳に触れてきた。
「うわ……っ!」
目覚めは唐突だった。自分の上げた叫びに、ようやく覚醒が本物になる。
部屋の中はまだ暗い。起きるには早い時間なのだと一拍置いて気づいた。
「目が覚めたの?」
現実が把握できずぼんやりするオレを心配そうにのぞき込む顔。
「すごい寝汗をかいているよ。なにか悪い夢でも見た?」
問いかけには応じずに、毛布をはねのけソロソロと上体を起こした。頭は混乱していたが、悪寒や吐き気はまるでない。ダメージは完全に意識だけの問題だ。
「なんでもない。……平気だ」
「……そう?」
「起こして悪かったな」
「大丈夫なら……いいけど」
納得がいかないようだが、それ以上は追及してこない。
ノアのこの態度は今に始まったものじゃなかった。プライバシーを尊重してくれるといえば聞こえがいいが、必要以上に深入りしたくない気持ちの現れとも受け取れる。
何度か深呼吸を繰り返しながらベッドから離れるオレを見て、ノアがちょっと不思議そうな顔をした。
「もう起きちゃうつもり?」
「ああ。今から寝なおすと、今度は寝坊しそうだから」
「じゃあ、ぼくも起きるよ」
極端に睡眠時間の短いノアだが、生活サイクルはオレに合わせてくれている。できるだけ近くでオレの行動を見ていたいという考えが、こんなところにもはっきり表れていた。
今日の予定は……あいつもオレも生産プラントの作付けの手伝いか。そのあとノアは、先生をしに学校へ行かなくちゃならないんだっけ。
あいつもいろいろと忙しいな。頭がいいというだけで、しょっちゅうお呼びがかかって大変だろうに、文句のひとつも言わないで応じているんだから、人がいいというかなんというか……。
雑多な考えを巡らせながら、汗でべとついた顔を洗うため、タオルを手に洗面所へ向かう。
装着していたマスクを外したとたん胸の辺りが苦しくなった。ほんの少し空気が肺に入っただけなのに、体がてきめんに拒絶を示し始める。こういう場合は、なるべく息を吸わないよう努力しているのだが、それにも自ずと限界があった。
こうやって、少しずつ毒素が体に蓄積されていくんだろうか。どれだけ繰り返すと、取り返しのつかないところまで行き着くのかな?
不安がないとはいえない。それでもオレは、ドームへ戻りたいとは思わなかった。あそこに自分の居場所はもうない。
なんとか洗顔をすませリビングに入ると、ノアがオレだけのために食事の用意をしてくれていた。あいつは食べ物からエネルギーを取らない。なぜならノアは人間じゃないからだ。
政府直轄の研究機関ラボが直々に開発した超優秀なアンドロイド。この国の基盤を司るスーパーコンピュータ「ゼウス」と唯一同等とみなされる存在。それがノアだ。
そして、オレと意識の交流(リンク)を運命付けられた過去を持つ。
そんな出自のあいつだが、重大事件を引き起こした犯人として、今はラボと政府から追われる身だ。追われているのはオレも一緒だった。
――オレたちは、政府の極秘計画を阻止した共犯者なのだから。
だが、追求の手はドームの「外」にまでは及んでいない。オレたちの暮らすこのコミュニティは治外法権ゾーンに属する。だから、オレとノアがドームを離れた経緯を知る者などここには誰もいなかった。
無言でテーブルに着くオレの前に、飲み物とドロドロの流動食が運ばれてくる。見た目は最悪だが、「外」の環境に適応しない体では、おいそれとマスクを外せない。つけたまま栄養を摂ろうとすれば、自然とこの方法に限られてしまう。
「チューブの汚れがひどくなってきているみたいだね」
言いながら点滴の管のようなものを手渡された。オレの食事道具だ。これで流動食を胃に強制的に流し込む。
「そろそろ新しくした方がいいね。今日、学校へ行くついでに発明家(インベンター)に頼んでみるよ」
発明家とみんなが呼ぶサイモンは、「外」の世界の知恵者だ。ドームにいた時は、ラボの外郭部門で働いていたという。オレにとっての、文字どおり命綱を握る人物でもある。
オレにだけ食事を勧め、ノアはキッチンの始末をしに再び席を立つ。
食事をしないノアにとっての動力源がなにか、疑問に思い質問したことがあった。返った答えは「たぶん、光」だ。本人も詳しく理解していないようなのだが、今のところ支障なく動いているところをみると、おそらく大きく外れてはいないのだろう。
ドームと「外」との共通項は少ない。光はその最たるものといっていい。
互いに背を向けた状態で、しばらく場に沈黙が流れた。ふと視線を感じ顔を上げると、いつの間に横に来ていたノアがオレをじっと見ている。灰褐色の瞳が不安そうだ。なにか言いたげな顔つきをしている。
「どうした?」
「……瀬那は――」
名前を呼んだきり、あとが続かない。
「なんだよ。隠し事はなしだぜ。こじれる原因になる」
「うん。……わかっているけど」
相変わらず煮えきらない態度に、先ほどの夢の内容がダブった。
そして、記憶に戻るレダの台詞。
――信じない方がいいよ。あいつは今にきっと瀬那を裏切る。
そんなはずはない。ノアとオレは友だちだ。それも、同じ運命を分かつ相手。だからこそ、ともにしがらみを捨てドームを出た。
なのに、そうやって言いよどむなんて、いったいなにを考えているんだよ?
押し黙るノアの気持ちが読めない。ふたりの意識が通じ合っていたのは昔のことだ。今は、言葉や態度にしてもらえないとまるでわからない。
知らずと責める目を向けてしまっていたみたいだ。視線に気づいたノアが、オレの表情を見てにわかに顔を曇らせた。それでも、なにひとつ言葉は返らない。
悪夢を思いだし、塞ぎこみにいっそうの拍車がかかる。会話が途切れたせいで、一日の始まりは重苦しい空気に包まれてしまった。