過去と呼べるほど遠くはない時代に、世界じゅうを巻き込むひどい戦争があった。第三次世界大戦――通称アルティメット・ウォー。争いは数年間に渡って続き、その戦禍は母なる地球と人類に深く大きな傷を与えた。
それが、環境異変と人の遺伝子のミュータント化だった。
化学兵器と細菌爆弾により、水はもちろん大気や土壌までが汚染し尽くされ、植物は育たず荒地ばかりが広がる。そんな状況下で、人間がなにごともなく生きていられるはずがなかった。
星の荒廃は急速に人類を蝕んでいった。大人だけでなく、戦後生まれの赤子にまで異変が現れるようになったのも当然の流れだろう。
それを嘆き、運命とあきらめるのは簡単だ。けれども、人間というのは想像以上に逞しい生き物らしい。いつまでもその状況を甘んじて受け入れていたわけではない。
まずは、過酷な環境から逃れるため、閉鎖型の人工都市「ドーム」をつくりだした。
ドームは、国ごとに五百ほどの数があり、気象から統治までのあらゆる事象はスーパーコンピュータが管理している。
この楽園の誕生で、人びとは安全と安心を手に入れた。
次に、環境異変の影響を受けた体をリカバリーする技術が急ピッチで開発された。そのためのテクノロジーが、ブレイン=コンピュータ・インターフェイス(BCI)だ。
BCIの普及により、遺伝子のミュータント化は、たちどころに特筆するものではなくなった。
今では、多くの人が肉体と機械を共生させている。優れた性能と自然(ナチュラル)さが見事に同居するさまは、まさに新人類(ネオ・ヒューマン)と呼ぶにふさわしい姿だ。
講じられた手段はこれだけじゃない。新たな争いを徹底的に回避する目的で、BCIを利用し、不穏分子誕生への予防線が張られるようになる。
BCIの恩恵に預かる者の誰もが持つ、言い換えればネオ・ヒューマンの証ともいえる「ブレインゲート」から暗示を与え続け、政府に対する反感や疑問を抑え続けた。
ところが、一見理想的とも受け取れるこの方法にも思わぬ盲点があった。それは、ネオ・ヒューマンではない想定外の人間の存在だ。
オレは環境異変の影響を受けていない。オレのように、人の手が加わらない素のままの体を持つ人間を称して、「神の子――GC(ゴッドチャイルド)」という。
数十万人にひとりの割合でしか生まれない奇跡の子。人類の大多数を占めるネオ・ヒューマンとは、はっきり区別される。
GCには、当然ながらBCIもブレインゲートも必要ない。だから、コントロールしきれないという失敗を招いたのだろう。
暗示を思考統制にまで進めようとする政府の標的とされたオレは、自らの身を守るため大胆にも反旗を翻した。それは、政府が求める従順な国民の姿では決してない。
たかがひとりのGCの犯した行為が計画をメチャクチャにしたのだから、政府にとってははらわたの煮えくり返る思いだっただろう。
とはいえ、たった一度の失敗で計画が白紙に戻されたわけじゃない。政府のさらなる追求をかわすために残された道は、家族と友人を捨てることだけだった。
その時からずっと、不都合を抱えながらもドームの「外」で暮らしている。
政府のこの思考統制計画には、実はもうひとつの隠された秘密があった。
成功を確実にするべく取られた驚愕の方策と、神をも恐れぬ傲慢な行い。
国を司るスーパーコンピュータ「ゼウス」には、機械が持ち得ないはずの「人格」と「感情」が備わっていた。コアと呼ばれる部分に、あろうことか「生きたヒトの脳」を使っていたのだ。
「ゼウス」のコアにされたのはレダという少年だ。GCとしてこの世に生を受けたレダは、科学者である父親の手で、生きたまま脳だけを「ゼウス」に移植された。
そのレダを模してつくられたのがノア。ノアは、世界でも例を見ない人の心を持つアンドロイドだ。
当初は、オレと「ゼウス」をリンクさせるために近づいてきたノアだったが、あいつは自分に課せられた使命を無視し、政府を裏切りオレを選んだ。オレをやつらの策略から救うため、兄と信じ慕ったレダ――「ゼウス」の望みを断ちきろうとした。
共犯者という言い方はただの揶揄なんかじゃない。ノアにはオレが、オレにはノアがいなかったら、こんな大それた真似など絶対にしなかった。
――「ゼウス」のコアを破壊し、結果としてレダの命を奪うなど。
直接手を下したのはオレだ。それと、ドームのサンクチュアリ・スクールで一緒だったクラスメイトのリオ。
けれども、政府にしてみれば、オレとノアが事件の犯人だ。ネオ・ヒューマンのリオは、おそらく関係者ともみなされていない。
だからといって、ノアがコアの破壊に手を貸した事実はなかった。逆にノアはレダから殺されかけたのだから。
レダから恨まれるべきはノアではなく自分のはず。なのに、今朝見た夢で、レダはオレを憎んではいなかった。負の感情はすべてノアに向けられた。
夢は見る者の願望や杞憂を表す。だとすると、オレは自分の罪をノアになすりつけたいと思っているのだろうか?
否定するのは簡単だ。現に、オレはそんな考えなどこれっぽっちも持っていないつもりだ。
けれども……。
自由になれると思ってドームを捨てたのに、ここでも完全な自由は手に入らない。形だけは解放されても、体の問題はどうにもならなかった。どうすればいいのかというのもまるで考えつけない。
不安は己を追い詰めた。ドームで異質と見られていたオレだが、「外」でもやっぱり異端児にすぎない。同じ立場の人間が皆無だというのが事態をいっそう悪くしている。
心までもが病んでいる感じは、日に日に濃くなっていく。不安定な状態は、オレをますます殻に閉じ込めてしまうようだった。