ソノリティ〜ただひとりの君へ(3)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(3)



 「聖(ひじり)ー!早くしないとまた遅刻だぞー!」
 クラスメイトの呼ぶ声に、それまで体を離れていた意識が現実に引き戻された。
 いっけねえ。時間がないってーのに、俺ってば性懲りもなくまた空を見ていた。
 見上げる先には抜けるような青空。冬晴れの空気は、むきだしのままのほおに痛い。しばらく立ち止まっていたせいで、手も足も顔もかなり冷えきってしまっている。
 暑がりの俺は、真冬でもコートをめったに着ない。冬用の制服の上にマフラーを巻いただけという軽装でいるのが普通だ。
 ――聖は本当に元気だな。無頓着がすぐに体調に出るオレとはえらい違いだ。羨ましいぜ。
 ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。漆黒の髪が印象的な俺の幼なじみ。普段からあまり本心をのぞかせないやつだったが、俺と個人的に話す時だけは違った。
 ――風邪なんか引いたら大騒ぎになっちまう。こじらせて寝付くようなことになれば、母さんたちが中央病院(セントラルホスピタル)に呼びだされちゃうしなあ。親なのにいったいなにを管理しているんだって、医師からお説教を食らうらしいぜ。……面倒くさいな、GCなんて。
 友だちの瀬那。あいつが俺をどう見ていたかわからないが、少なくとも自分は、瀬那とはまだ親友同士だと信じている。
 会えなくなってもう半年だ。元気にしているんだろうか?

 空を見上げる行為は、瀬那がしょっちゅうしていたものだ。そんな瀬那を見るたび咎める言い方をしたのは、ほかでもないこの俺だった。
 なのに、今は自分が瀬那と同じことをしている。
 ――晴れ上がった空の色って好きだな。だって、見ているだけで吸い込まれそうな感じがするだろう?
 初等科に通っていた頃、いつもあいつが口にした台詞だ。
 ――それって、つくりものに対する感想じゃないぜ。人と違う考えなんか持たない方がいいんじゃねえ?
 俺がやんわりと否定したら、とたんに悲しげになったのを覚えている。夜の色を宿す瞳が、たちまち深い落胆に染められた。
 瀬那には、ほかのやつにない感性の鋭さがあった。それを、一番の友だちの俺に受け入れられなかったのが、あいつなりにこたえたのかもしれない。

 やがて、素直な感想が瀬那からまったく出なくなった。その理由が、誰も瀬那の主張を認めていないからだと、あいつがいなくなるまで俺は気づけないでいた。
 瀬那は、体だけじゃなく存在そのものがピュアなやつだった。それをわかってやれなかった自分が悔しい。だからあいつは、俺じゃない別の人間を一番ととらえ、ともにこのドームを出て行ったのだろう。
 あいつが姿を消した時から、俺の時間は止まったままだ。

 顔を見て謝りたい。時々でいいから会って話がしたい。自分が一番じゃなくても構わない。ただ、無事な姿をこの目で確認したかった。


 始業から十五分遅れで教室へ入る。クラスメイトは全員、すでに課題に取り組み始めている。予定では、今度先生が教室へ現れるのは二週間後。しばらくはモバイルが勉強の相棒だ。
 かつて瀬那がいた隣の席を横目でとらえ、小さくため息をついて椅子に腰かける。モバイルを開くタイミングを見計らったかのように、斜め前の席のリオがこちらを振り向き話しかけてきた。
「いつもながら重役出勤だな。遅刻は減点対象だぞ」
「んなこと、言われなくてもわかってるぜ」
「……まあいいだろう。君なら、そのくらいの減点は試験で取り戻せるからな。それより――あとでちょっと報告がある。授業が終わったら、そのまま教室に残っていてくれ」
 リオの言葉に思わずキーを打つ手が止まる。こいつがこの言い方をしてくるのは、話の内容に瀬那が絡んでいる時だからだ。
 勢い、焦る口調で応じてしまう。
「わ、わかった!絶対に残るから!だから、リオこそ勝手にバックレんなよっ!」
 静かな教室で交わす会話はそれでなくても目立つ。横に座るケントに軽くにらまれ、リオとのやり取りはそれで終わらざるを得なくなった。
 けれども俺は、瀬那の情報が聞けるというだけで、すでに気持ちが舞い上がってしまっている。リオが苦笑するのを視線の端でとらえつつ、ほとんど上の空の状態で、モバイルが提示する課題を事務的に片付け始めた。


 瀬那と俺とは、家が近いという事情もあって、ガキの頃からの長い付き合いだ。
 三歳から六歳までの幼児を対象とする「プレスクール」に入った頃までは、瀬那もほかの連中となんら変わりがない、ごく普通の子どもだった。ちょっと体力が足りないけど、みんなに混じって元気に遊び回る。そんな姿を見ていると、あいつが特別な人間だというのを忘れたほどだ。

 でも、些細なきっかけで、GCだというのをはっきり突きつけられることもあった。

 鮮明に記憶に残っているのは、木登りをして遊んでいた時に起こったアクシデントだ。たまたまつかんでいた枝が折れ、木から落ちた瀬那が右手首の骨を折ってしまった。
 ケガに真っ青になったのは、あいつの両親じゃない。一緒に遊んでいた俺たちの親の方だ。
「本当に申し訳ありませんでした。ですから、ケガの原因はどうか、そのー」
「いいんですよ。悪いのは不注意なこの子なんですから。お友だちに強要されて、それで骨折したわけではないので。そちらさまも、もうこれ以上は……」
「……なら、中央病院には、このことは内密にしていただけるんですか?」
「え?……ええ」
 GCの体は本人だけのものじゃない。
 その日の晩に、俺はおやじからさんざん説教され、この暗黙の了解事項を教えられた。
「それにしても、今回はなにごともなくてよかったわ。あれで瀬那ちゃんの体がどうにかなっていたらって考えると、もう……。アーティフィシャル・パーツの装備なんてことになったら、それこそケガをさせた側の責任問題だもの。関わった子どもの家族は、普通に暮らせなくなってしまうところだったわね」
「不幸中の幸いだったな。……いいか、聖。いくら友だちとはいえ、GCを軽く見てはいけないぞ。彼らは私たちとは違う人種だ。特別扱いされているのは、それなりのちゃんとした根拠があるからなんだよ」
 GCは人類の宝だ。損なわれることは絶対に避けなくてはならない。
 おやじの主張は正しい。おふくろが安心した理由だってうなずける。でも、そこには瀬那本人に対する配慮がない。どちらも、あいつを思いやったから出たものではない。
 真綿でくるまれたように大切にされているといえば聞こえがいいが、実際にはそうじゃない。やんわりと自由を奪われているのだと、子どもながらに理解できた。

 そして、骨折した日を境に、俺たちの中での瀬那のポジションが様変わりした。たぶん、全員が親から叱られ、俺と同様、GCのなんたるかを教え込まれたのだろう。それまで屈託なく接していたやつらも、まるで腫れ物に触るように瀬那との距離を置き始めた。
 さらには瀬那本人も、友だちに対して遠慮を見せ始める。自らの意思で自分の周りに近づく者を阻む壁をつくり、やがては、口数が少なく内向的な態度を取る人間へと変わってしまった。
 そんな状況下であっても、俺にだけは変わらぬ態度で接し続けてくれた。それが、瀬那が俺を一番と認めた証に思え、とても嬉しかった。


 骨折事件のすぐ後、瀬那に新しい家族が増えた。
 ネオ・ヒューマンの妹の誕生をきっかけに、あいつの家族関係が激変したのだと、少し経ってから理解した。
 それまで頑なに瀬那を守っていたはずの両親が、手のひらを返したようにあいつを無視しだしたのだという。家族ぐるみで親しかっただけに、瀬那が精神的な虐待を受けていると知った俺たち一家の驚きは大きかった。
 でも、俺の両親はしょせん普通のネオ・ヒューマンにすぎない。他人に向ける関心を維持できないのは、ネオ・ヒューマンに共通する特徴だ。一時はかなり心配したが、瞬く間に虐待の事実は記憶の隅へ追いやられてしまった。
 よその家庭のいざこざには首を突っ込まない。気づかう相手が瀬那じゃなかったら、俺も両親と同じ態度を取っただろう。
 だが、俺にはあいつの置かれた状況を無視できなかった。自分がここまでこだわれる他人は瀬那だけに限られる。そういう意味では、俺も普通じゃないのかもしれない。でも、思うだけでなにもしてやれない。唯一、学校生活であいつの味方をし続けることだけが、自分にできる精いっぱいの行為だった。

 当事者の瀬那は、周囲が思うより深く傷ついていた。傷つきながらも、それを表面に出すまいと必死に我慢していた。

 どうして瀬那だけがこんなに苦しまなくちゃならないんだろう?
 辛そうな姿を見ていて、ふと疑問を感じたことがある。
 答えはわかっている。あいつがGCだからだ。
 結論が出たとたん、以前おふくろが口にした言葉が脳裏に蘇った。
「あれで瀬那ちゃんの体がどうにかなっていたらって考えると、もう……。アーティフィシャル・パーツの装備なんてことになったら、それこそケガをさせた側の責任問題だもの」
 ああ、そうか。問題はあいつ自身の「体」なんだ。
 だったら瀬那も、アーティフィシャル・パーツをつければいいんじゃないのか?そしたら、GCでいるのをやめられる。つける理由が、なにも自分たちと同じじゃなくていい。原因は事故でも病気でも構わない。かなえば瀬那もネオ・ヒューマンになれる。そうすれば、他人から傷つけられることもなくなる。
 冷静に考えれば、ものすごくバカげた理論だ。けど幸いにも、俺には実行に移せるほどの勇気がなかった。臆病でよかったと思ったのは、今のところこれが最初で最後だ。


 幼い頃の無邪気な瀬那はもういない。瀬那の心は、家族や友人との確執が原因で、二度と外へ向くことはなかった。
 ――そう、あの人物が俺たちの前に現れるまでは。



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