ソノリティ〜ただひとりの君へ(4)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(4)



 そいつは、季節はずれの転校生だった。――去年の五月、俺たちの通うサンクチュアリ・スクールに突然やって来た。それがノアだ。
 物珍しさと容姿の端麗さから、転校当初はみんながあいつを注目した。かくいう俺も、好奇心もあって自分からノアに近づいたくらいだ。だけど、すぐにそれは嫌悪感へ変化する。会話を交わしているうちに、言動に不審を抱いたといってもいい。
 儚げで善人そうなツラをしているが、本質はそんな可愛らしいもんじゃない。常になにかを企んでいるかのような態度。あいつは紛れもなく二重人格者だ。裏のある性格が大嫌いだった。化けの皮をかぶりながら瀬那に必要以上に関わる。そんな許しがたい態度もことさら鼻についた。
 でも、過度の負の感情は、即刻、自分への危険信号につながる。ラボに察知されたら、検査入院という名の治療が待ちかまえている。
 だから俺は、上っ面だけでもノアに対し友好的に振舞った。そんな俺を、ノアは「甘い」と判断したのだろう。親友を自称したところで、しょせんは瀬那をまったく守りきれていないと思ったに違いない。

 ノアが障壁を飛び越え瀬那の中に無遠慮に踏み入ったのは当然の成り行きだ。この事実を知った俺はノアに妬みを抱いた。妬みいうより、もはや憎しみに近かったかもしれない。自分の中にそんな嵐があるとは、考えが及ばなかっただけに驚きも大きかった。
 その一方で、ここまで激しい思いに襲われるほど、自分が瀬那に好意を持っているのだとようやく理解できた。だから、ノアの正体――ネオ・ニューマンではなく、つくりもののアンドロイドだと判明した時、やつに対して蔑みの態度を取った。それまで溜めに溜めていた感情をいっきにぶちまけたといってもいい。

 けど、俺の直情的な行為に対する瀬那の落胆ぶりは想像以上だった。最後に交わしたあいつとの会話が耳から離れない。

「おまえはノアが憎いのか?憎いから、苦しんでいるのに黙って見ているのか?」
「違う!……憎いんじゃない、許せねえんだ。……俺はノアが許せない。人間の振りをしておまえをだましていたんだ。そんなやつを許すなど、できない……できねえよ!」

 詰問に返した答えを、おそらく瀬那は信じていない。
 自分でもきれい事だと思っている。だって俺は、確かにノアを憎んでいた。その事実は今でも変わらない。
 だから、瀬那はきっと俺をまだ許してくれていない。リオには入れる連絡が自分にないという現実が、それが正解だとはっきり物語っている。


「やれやれ。ようやくふたりきりになれたぜ」
「ああ。まさか、終業ギリギリになって先生が来るとは思わなかったよ。今日は直接指導の予定じゃなかったっていうのに、なにかあったんだろうか?おかげで、だいぶ時間をロスした」
 言いながらリオが、ひとつに束ねていた髪を解きため息をつく。リオは、ブレインゲートを人目にさらすのを好まない。授業中以外は、いつも長髪で首筋を隠している。
「俺なら構わないぜ。……あ?でもリオの方で、このあとなんか用事でもあったりするのか?」
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて、できるだけ早急に君と話をして結論を出したかっただけだ」
 うるさそうに髪をかき上げ、なんだか人を煽る言い方をしてくる。いつもは冷静沈着なリオが、こんなふうに急くなどかなり稀だ。
「……どうした?まさか、瀬那に…なにか?」
 不安から、思わず詰め寄るような尋ね方をしてしまった。
 俺には、瀬那の事情がまるでわからない。「外」のどこにいるのか、どんな暮らしをしているのか、それを知るための手がかりはリオしかいない。
「君がこのことを知れば、きっとノアを責めるだろうと思っていたから、だから、今まで言いだせなかった。だが、どうやらそんな悠長な考えをしている場合じゃなくなったようだ」
 なにがあったんだ?ノアに責任というところをみると、まさか……瀬那が!?
 混乱から先ほどとは一転してなにも言えなくなる俺を、リオは十分に予想していたみたいだ。なるべくこちらを刺激しないよう、慎重に言葉を選んで話の続きを告げてくる。
「端的に言えば、タイムリミットってことかな。このままだと瀬那は、じき『外』で暮らせなくなってしまう」
「……タイムリミット?……な、なんで?」
「あいつが……GCだからだ」
 でも、そんなことなど、瀬那だって最初から嫌というほど承知していたはずだ。リオも、それでも大丈夫と判断したから、ドームを出るのを止めなかったんじゃないのか?
 疑問があふれるのを抑えられない。
「GCだからって……それじゃ、やっぱり体がもたないとでも?」
 瀬那が「外」の世界で生きる決心を固めた時、リオはあいつと一緒だった。「外」での暮らしに適していない体の瀬那に、確か特別あつらえのマスクを与えたと言っていた。防塵防菌仕様のそれがあれば、呼吸器官が素のままの瀬那でも「外」の過酷な環境に適合できると主張したのに、まさか今さらあれが失敗だったとでもいうのだろうか?
 だが、続けて出た台詞は、完全に俺の想像を裏切った。
「違う。限界がきているのは体じゃない」
「……どういうことだよ?」
「もちろん、いきなり無防備に『外』の状況に身をさらすのは、僕らと違って瀬那には危険と隣り合わせだ。でも、そっちはきちんと管理が行き届いていれば問題ないんだ。それにね、人の体っていうのは、思う以上にいいかげんなんだよ。放っておいても、徐々に慣れていくものだ」
「じゃあ、いったいなにが問題だっていうんだよ?」
 要領を得ない説明にイライラが募る。吐き捨てるように質問を重ねると、ようやく納得のいく答えが戻った。
「問題は精神面だ。置かれた立場の不安定さというか……。ノアの話だと、ここのところ寝ていてうなされることがしょっちゅうあるというんだ。さらには、思いどおりにならない体に苛立ちを感じているらしい。焦る必要などないというのにね。ノアがそばにいるんだから、こんな時こそ頼ればいいんだ。ノアも嘆いていたよ。自分に隠し事をされているみたいで辛いって。確認しようと思っているのに、瀬那に対する遠慮からそれができない自分も情けないって」
 断言するリオの間違いに俺はすぐ気づいた。なんだかんだいっても、リオもノアも瀬那を本当には理解していない。
「……んなこと、あいつがするわけねえだろう」
 低く、でもきっぱり否定する俺を、リオが不思議そうにじっと見てくる。意味が把握できていない顔つきだ。
「瀬那は……ずっとひとりで生きることを強いられてきたんだぜ。自分を守るのは自分しかいない。家族にすら頼れない。ましてや他人になど期待できねえ。十六年間そう思い続けてきたのに、いきなり考えを改められるわけなんてねえじゃん」
 言いながら、同時に自分自身をこの事実に当てはめてしまう。
 そうなんだ。親友で幼なじみといっても、瀬那と俺はおんぶに抱っこの関係じゃなかった。あいつはいつも、自分のことは自分ひとりできれいに片付けていた。俺には一度もさらけだしてこなかった。踏み込ませてくれないままだった。
 ――だからあの時、あんなにもノアが憎いと感じたのかもしれない。
 いきなり瀬那の前に現れて、あっという間に心と体の両方をさらっていったノア。自分にできなかったことを、知り合ってわずかの時間でやり遂げたというのが、羨ましくて悔しかったんだ。
「なるほどね、そういうことか。やっぱり話してみるもんだな。じゃあ、ここは君に頼むしかなさそうだ」
 唇をかみしめ俯いていた俺は、リオの言葉に弾かれたように顔を上げた。
「俺に……頼み?」
「そう」
「今さら、なにをしろと?」
「瀬那のところへ行ってくれないか。そして、これをあいつに渡してやってほしい」
 言いながら差しだされた包みをじっと見る。中身がなんだか想像もつかないが、やけに軽くて小さい。けど、渡せと言われたところで、俺には瀬那に会う資格などない。あいつとは、最悪の経緯でケンカ別れになっている。なのに、平気な顔で会えるほど気持ちの整理がついていなかった。
「どうして俺に?俺なんかが行ったんじゃ、きっとダメだ。会ってくれねえよ」
「そんなことはないだろう。君たちふたりは僕から見ても相当親しかったし、それに、こいつは瀬那にとって現状をいい方向へ変える決め手になるものなんだ。だから、このタイミングで確実に手渡さなければ意味がない」
「……いったい、これってなんなんだよ?」
 我慢できなくなった俺は、出すぎた真似を承知でリオに尋ねた。そこまでこだわる理由を知りたい。
「薬だ」
 だが、質問に対し返った答えのあまりのシンプルさに、思わず拍子抜けしてしまう。
「薬?」
 リオが機械工学に長けているのは知っている。でも、薬っていうのはマシーンとまったく分野が違う。別の専門知識がいるものだろうに。
「なにかの市販薬か?瀬那のやつ、やっぱり具合でも悪かったりするのか?」
「違うよ。これは合法薬じゃない」
「え?じゃあ違法ドラッグ?」
「本当に君は予想どおりの反応をしてくれるね。そうじゃなくて、僕が特別に調合したものだ。瀬那の体を楽にするために」
 視線を向けた先で、リオがさもおかしそうに笑っている。なんだかバカにされたようで、とたんに気分が悪くなった。
 でも、それを察し真顔に戻ったリオは、俺の目をとらえながら、もう一度きっぱりとした口調で言い募ってきた。
「お願いだから引き受けてくれないか?そして、瀬那と話をしてこいよ。薬もそうだが、今の瀬那に必要なのは聖、君だ。君と会うことで、きっとあいつも気持ちが落ち着く」
 ここまで請われて、ようやく俺も前向きになる。けど……。
「なあ、リオ。俺さ、前々からおまえに訊きたいと思ってたことがあんだけど」
「なんだ?改まって」
「……どうしてこうまで瀬那を心配するんだ?いや!心配してくれてんのは、本当にありがたいと思ってるぜ!俺じゃどうにもならないことでも、おまえがいてくれるおかげで助かっているんだし」
 踏み込みすぎかな?
 言いながら躊躇いが生じた。相手が普通のネオ・ヒューマンなら、プライバシーの侵害と指摘されてもおかしくない内容だ。
 口をつぐんでしまったリオの横顔を見ながら、少なからず後悔が生じた。これが原因で気分を害し、瀬那との唯一の接点を失うなんていうのはなんとしてでも避けたい。
「わ、悪ぃ――」
「まったく……君という人は、瀬那が絡むとなると、どうしてそうムダに鋭いんだよ」
 謝罪を途中で遮られ、そればかりか意味不明な返事が戻る。
 褒められているか、けなされているのか、ニュアンス的には微妙なところだが、幸いにもリオは怒っていない。ため息をついてはいたが、向けられた目は納得しているふうにも見える。
「俺……変な質問しちまったのかな?」
「僕の方こそ、瀬那に対する態度が、そんなにもあからさまだっただろうか?あまり過度にならないよう気をつかっていたつもりなんだが……。隠そうと思っても、本心なんてどこかでわかってしまうものだな」
 そこまで言うところをみると、やっぱりリオは瀬那を相当気に入っていたのだろうか?でも、それならあいつをドームに引き止めただろう。ノアに任すなど絶対に考えないはずだ。危険を承知で出て行くのを許すなんてことは、たぶん俺ならできない。
 真意がつかめず、混乱したままの頭でリオを見やる。
 いつの間に辺りは薄暗くなっている。下校を促すチャイムがガランとした教室に鳴り響くが、だからといって誰かが見回りに来るわけでもない。再びの静寂に包まれながら、俺はリオの言葉を待った。
「――実を言うと、『外』へ逃げていった人間を見るのは、あの時が初めてじゃなかったんだ」
 唐突な告白。いったいどういう意味だろう?
「それって、おまえの知っている誰かが『外』にいるってことか?」
「そうだ。……八年前に、兄貴がドームを出ている」
「え……」
 想像もつかなかった答えに、今度は俺が返答に詰まる。だが、リオはそんな俺の反応になど構わず先を続けた。
「いまだに生き別れのままなんだよ。消息すらつかめていない。だから、瀬那たちを見てとても他人事と思えなかった。あそこまで自分が関わったのなら、今度こそはきちんと行方を把握しなくてはと考えてしまった。……まあ、ラッキーなことに、瀬那もまだ僕を必要としてくれているみたいだし」
 初耳だ。リオに兄がいたというのもだが、優等生のこいつの身内で、そんな行動を取った人物がいるなんて……。
「どうしても重ねて見ているんだろうな。瀬那にとっては迷惑かもしれないが……」
 言いながらリオが遠い目をする。強迫観念のようにそこまで思い詰めるところをみると、失った兄貴というのは、リオにとってよほど大切な存在だったんだろう。
「だから頼む。僕はできる限り瀬那の力になりたいんだ。聖もそう思っているんだろう?だったら、この役割は君にしかできない」
 瀬那を助けるのはノアだけじゃ無理だ。そう言われているような気がした。リオは俺の価値を認めてくれている。
 今度こそ納得がいった俺は、声もなくただ大きくうなずいてみせた。だが、リオに頼まれたからというより、瀬那の顔を久しぶりに見たいという欲求が、自分を突き動かす一番の原動力になったのかもしれない。



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