ソノリティ〜ただひとりの君へ(5)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(5)



■ 2nd. Movement ― 罠

 「外」で暮らす人たちには、ある共通点がある。思考統制という政府の方針に反対を示していることだ。
 だけど、中には別の考えを抱く者もいた。どんなコミュニティにも、主張が相容れない人間は必ずいるものだが、今の「外」の状況はそんなに単純ではなかった。
 なぜなら、その者たちがネオ・ヒューマンではない特別な存在だからだ。――彼らは全員、「外」生まれのGCだった。

 「外」生まれのGCには、同じGCのオレにも持ち得ない能力がある。それは、過剰なまでに優れた適応力だ。彼らは、ネオ・ヒューマンをもじって「ネオGC」と名乗り、環境汚染に対する抗体を生まれながらに宿していた。
 だから、素のままの体でも生活にまったく支障を来たさない。
 もちろん、オレのようにマスクに頼ることもない。ガードを必要としない自然な有りようは、新しい地球環境に見事に適応する人間として周囲の注目を集めていた。

 彼らの望みは、政府に自分たちを認めさせることだ。最終的には、ネオ・ヒューマンとの共生を願っているという。
 ネオGCは、自らの存在意義を社会的地位という形で勝ち取ろうとしていた。ネオ・ヒューマンと同じ扱いを受け権利を行使したい。GCが、社会の「道具」という立場に甘んじているのと比べえらい違いだ。自分たちがマイノリティだというのを、少しも引け目に思っていない。
 そんなふうに強気の姿勢が取れるのも、彼らがラボのコントロールの外にいるおかげなんだろう。そうとらえるのならオレだって同等なはず。現に、今の自分はラボに情報を盗み見られていない。
 GCと生まれたからには、避けることのできない義務がある。身体データをラボに提供し、ネオ・ヒューマンの義体製作にフィードバックする役割を担うという義務だ。
 でもオレは、「ゼウス」のコアを破壊したあの事件で、データ送信のためのピアスを無理やり外してしまっている。だから、ラボに所在を察知されていない。貴重なサンプルにもかかわらず、「外」でこうして暮らしていられる大きな理由だ。

 同じ条件なのに、あきらかなこの違い。

 生まれて十六年間、ずっと置かれていた状況が、固定観念の刷新のじゃまをする。いったん持ってしまった劣等感は、そう簡単に払拭できない。
 自分を変えたくてドームを出たのに、オレはいまだに過去に囚われ続けている。だから妙な夢ばかり見るのかもしれない。

 ネオGCが「外」でさほど問題視されないのは、彼らがまだ子どもだからにすぎない。でも、このままの状態が続くのなら、いずれ政府やラボにネオGCの存在が知られるに決まっている。
 そうなったら最後、「外」で暮らすネオ・ヒューマンの身の安全は保障されない。やつらが欲しいのは、裏切り者ではなく、研究対象としてのネオGCだけなのだから。
 そんなある種の爆弾を仲間内に抱えつつ、今のところはなんとか折り合いをつけているみたいだ。
 だが、その均衡を破るかもしれない人物がひとり、オレの近くにいた。オレというよりノアの近くだ。――そいつは、ノアが面倒を見ている生徒だった。


「こんにちはー」
 屈託のない明るい呼びかけがドアの外から聞こえる。
「誰かいませんかー。ノア先生?」
 ノアは家にいない。あいつは、ボランティア先の急な呼びだしで出かけている。本当は、オレの食事用のチューブを受け取りに発明家(インベンター)のサイモンのところへ行く予定だったのだが、それを後回しにしなくてはならないほどの急用だったようだ。
「おっかしーわねえ」
 年相応の無邪気な呟き。でも、それもたぶん演技だろう。
 返事をしないにもかかわらず、一向にあきらめを見せない態度に根負けし、しぶしぶと玄関へ出向く。居留守というのは、思っている以上に疲れるし難しいものなのだ。
 黙ってドアを開けると、長い頭髪が目に飛び込んできた。このコミュニティでこれほど見事な黒髪を持つのは、自分とこいつしかいない。
「ノアに、なにか用?」
「あ……れえ?なによ、瀬那じゃない。今日の作業は休みなの?」
 余計なお世話だ。
 口元まで文句が出かかるが、感情をダイレクトにつき返すほどオレも考えなしじゃない。ポーカーフェイスはドームでさんざん身につけてきている。
「そういう涼生(りく)こそ学校はどうした?平気でサボるほど余裕なのか?」
「言うわねえ……。サボりじゃなくて、私のこれは『お使い』っていうの。校長の頼みでノア先生を呼びに来たのよね。……先生、いる?」
「残念だったな。今は留守だ」
「ふーん」
 どう考えても、目上の人に頼まれて来たという態度じゃない。
 微妙に青味がかった目でじっと見つめられた。探るような視線に不快感を覚えるが、ふたつ年下の、それも女の子相手に怯むほど落ちぶれちゃいない。
「用事がすんだなら、さっさと学校へ戻れよ」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。機嫌悪いわね。……あれ?もしかして体調でもよくないの?そういえば顔色が普通じゃないわよ」
「心配されるようなことは、なにもないぜ」
「そんなことはないでしょう?だって、瀬那は無抗体(ゼロ・アンティボディ)なんだし。それなのに、そんなちゃちなマスクだけで体を外敵から守れるって本気で思ってんの?ムチャクチャなことくらい、私にだってわかるわよ」
 核心を突かれ返答に詰まった。悔しいが、正しく今のオレの状況を言い当てている。

 中性的な名前のこの少女は、「外」生まれのネオGCだ。年はオレよりふたつ下。おまけに、リオ並みの頭脳の持ち主なのだという。適応に優れた体と秀逸な頭、その両者をひとりじめにするコミュニティの天才児だ。
 事実、ネオGCたちの中でも、涼生はカリスマ的ポジションにいた。数的には劣勢を余儀なくされる彼らだが、この先そろって大人になる段階で、誰かが扇動すれば優位に立つことだってあり得る。涼生は、その時のリーダーになるであろう人間だ。

「本当にバカね、瀬那は。ただのGCが『外』で暮らそうなんて、どだい無理なのよ」
 どういう理由かわからないが、オレは涼生に嫌われていた。それも最低の嫌われ方だ。第三者の前では懐く振りをし、ふたりきりになると、とたんに辛辣な言い方で攻撃してくる。
 だから、涼生との会話はいつも神経を使う。どんなタイミングで攻撃に転じるか予想もつかないのが、さらに性質を悪くした。
 ドームでの徹底的な男女別教育がはっきり仇になっている。妹のミチルとは全然違う思考回路だ。同じ女とは思えない。
「さっさとドームに帰った方がいいんじゃないの?『中』には家族がいるんでしょう?『外』の環境は、きっと瀬那には苛酷すぎるのよ。ノア先生なら心配なんかいらないわよ。ちゃんと暮らしていけるだけの基盤はつくれたんだし、私たちだって助けてあげられる。無理して一緒にいる必要なんて、もうないんじゃない?」
「それはおまえが決めることじゃないぜ。オレとノアとの問題だ」
 頭ごなしに否定してやったら、とたんに涼生からつくり笑顔が消えた。
「ふうん。……そうやって、ずっとノア先生を束縛するの。瀬那といることで、どんなにあの人が苦しんでいるか、知ろうともしないくせに」
 ノアが、苦しんでいる……?
 涼生から出た台詞を耳にし、昨日の朝の光景が頭に蘇る。
 なにかを言おうとして口ごもったノア。オレをじっと見ていた辛そうなあの顔。
 レダの夢とノア自身を重ねてしまったのは、今から思えばオレの落ち度だ。あいつに非などひとつもない。ノアがオレを裏切る可能性を感じたのだって、突きつめれば自分の妄想にすぎない。そんな素振りをされた覚えもないし、ましてや事実などゼロだ。ノアは少しも悪くない。なのに、責める目をあいつに向けてしまった。
「どうやら、瀬那にも思い当たることがあるみたいね。……おじゃまさまー。ノア先生が戻ったら、学校へ来るよう伝えておいてね」
 言いたいことだけ一方的に告げ、それで気がすんだのか、あまりにあっさりとした引際だ。
 残されたオレは、救いようのない嫌悪感に襲われてしまった。 本当は、なにもかも涼生の言うとおりなのかもしれない。自覚がなくても、オレはノアに負担をかけている。気を使わせたくなくて余計なことを言わずにいたのだって、もしかしたら、なんの役にも立っていないのかもしれない。

 ゴト。
 涼生が出て行った玄関の方で、なにやら物音がする。
「ただいま」
 俯くオレの前に、いつの間にかノアがいる。かけられた声と視界に入ってきた足で、ようやくあいつの帰宅に気づいた。
「どうかしたの?気分でも悪い?」
 真っ青になっていたらしく、顔を見るなり驚いた口調で問われた。
「……平気だ」
「そう……」
 最小限のやり取りだけであとが続かない。このタイミングで、なにを話せばいいのかまったく思いつけない。
 ダメだ。これじゃ同じことの繰り返しになってしまう。
 思えば、ノアに対する態度のひどさは昨日の朝からずっとだ。昨晩は、多忙から精神的疲労を起こしかけているノアを邪険にしてしまった。オレの体調の心配を優先させ、必要以上に世話を焼くあいつに逆ギレしたといってもいい。
 オレを構うより自分を労われと言いたかったが、言葉にする前に主張する気力が萎えてしまう。こういった辺りで根気が続かないのが、互いのコミュニケーションが疎かになる大きな原因だった。
 気まずさは今朝になっても続いた。今日ノアにかけた言葉は、さっき口にした短い返事が初めてだ。
 反省めいた考えが頭をよぎるが、実際の行動はまるで逆だった。手っ取り早くこの場から去るのを選んでしまう。上着も取らずに身ひとつだけで、足早にノアの脇をすり抜けた。
「出かけてくる」
「瀬那っ……!」
 背中への呼びかけを無視し玄関を飛びだす。行くあてなどない。でも今は、なんでもないふうを装ってノアと接する自信がない。

 外は凍てつく風が吹き荒れていた。昨日の夕方から家を出ていないオレは、百メートルほど行って初めて、自分の服装が外出には薄着すぎるというのに気づいた。だけど、今さら上着を取りに戻れない。とにかく立ち止まっていると寒さがこたえると悟り、目的地を定めないままで闇雲に足を進めた。
「瀬那?」
 砂塵で悪くなっている視界の先で、誰かがオレの名を呼んだ。
「瀬那だろう?」
「ひ、聖!?」
 信じられない。どうしてあいつがここに……?
 太陽を連想させる鮮やかな金髪。人のよさそうな明るい目がまっすぐオレに向けられる。
「やっぱりおまえか!よかったー。家が見つからなくてさ、どっちへ向かえばいいか迷っていたんだ。まさか、こんなひどい砂嵐にじゃまされるなんて、予想もしてなかったからさ」
 半年前まで、自分の一番近くにいた友だち。幼なじみで親友で、オレを特別扱いしなかったただひとりの人間。
 懐かしすぎるその姿を前にし、驚きからなにも言えなくなってしまった。言葉が続かないオレを見て、聖がちょっと困り顔になる。
「こんなふうに押しかけて……迷惑…だったかな?」
 そんなことはない。わざわざ会いに来てくれて嬉しい。
 声にして告げたかったにもかかわらず、出てきたのはまったく別のモノだった。
「お、おい?どうしたよ!?」
 目の奥が熱い。体と心をがんじがらめにする戒めを解いてもらったみたいで、急速に気持ちが楽になる。思えば、過剰な気づかいもなくこうやって話しかけられたのはずいぶんと久しぶりだ。
「聖……」
 いきなり涙をこぼし始めたオレの様子に、あわてた聖が駆け寄ってくる。そしてそのまま、元気づける感じで背中をポンポンと叩かれた。
「だいぶ苦労してるんだ。なんだかずいぶん痩せちまったしなあ」
「そう……か?」
 グイッと乱暴に袖口で涙を拭い、無理やりの笑顔を聖に向ける。
「生身の体にこの環境がこたえねえわけないもんな。リオ特製のマスクで、いくら毒素や菌を除去したって、ほかの部分は結局無防備にさらしているわけだし。……それでなくても、俺たちはみんな『温室育ち』じゃん。いきなりの変化に体がついていけてねえんだろう」
 聖の指摘に、自然と口元に手が伸びた。リオがくれたマスクの効力を信じていないわけじゃないが、完璧に使うにも限界がある。おまけに、保護されるのは呼吸器官だけだから、片手落ちはどうしても否めない。確かに聖の言うとおりだ。
「……ごめん、瀬那」
「え……?」
 話の流れとは関係なく、唐突に謝られ面を食らう。
「なにをいきなり、おまえ……」
 混乱で問い返す言葉も半端に終わってしまう。でも、聖は真剣そのものだ。改めて正面からオレを見据え、同じ台詞を繰り返す。
「本当に、ごめん。おまえに会ったら、なにをさて置いても真っ先に謝ろうと考えていた」
 聖の態度に思い当たるものがあるとしたら、ノアの一件でケンカ別れをしたことだけだ。
 でも、あれならオレだって悪い。オレも一方的に聖の気持ちを踏みにじった。倒れているノアへの驚きで頭がいっぱいになり、聖の心情にまで気が回らなかったのは、無神経と罵られても言い訳できない。
「聖のせいじゃないさ」
「けど……俺、あんな別れ方をしたのが気がかりで……。言い方を間違えたって、ずっと後悔していたんだ」
 それで、オレに謝りにわざわざここまで?
 ――いや、いくらなんでもそれはないだろう。ネオ・ヒューマンといえど、たいした理由もなく気軽に「外」へ出向けるわけがない。第一、親の許可が下りないに決まっている。
「――と、こんな砂嵐の中で立ち話なんてマズいよな。体が辛いだろう?えっと……」
 聖の目的がいまだわからず、どうすればいいのか迷いが生じる。家に連れて行くのが筋なんだろうが、たぶんノアとは顔を合わせたくないはずだ。行けば会わずにすませられるわけがない。
「本当はさ、もっと話をしていたいところなんだけど、さすがにこの天気じゃな。……居場所もわかったし、近いうちにまた会いにくるぜ」
 オレが言いだしかねている間に、聖はすでに結論を出してしまっている。会ったばかりだというのに別れの握手を求められ、言いようもないほどの寂しさを感じた。
 それでも無視はできない。しぶしぶとだが応じようと差しだした左手に、なにやら小さな包みを渡された。
「これは?」
「リオからの預かりモノ。薬だそうだ」
「薬って……?」
「飲めば少しは体が楽になるって言ってたぜ。リオのやつ、機械工学だけじゃなく薬学の知識もあんだな。ちょっとびっくりだ」
 ノアの命の恩人。オレに勇気をくれたもうひとりの友だち。リオがいまだにオレを気にかけていると知り、いったんは止まった涙がまたあふれそうになる。
「リオは……元気なのか?」
「あれ?おまえ、あいつと連絡を取り合ってたんじゃねえの?」
「いや……。ドームを出てから誰とも連絡なんか取ってないけど」
 この答えに、なぜか聖の表情が固まった。どうやら期待していた返事じゃなかったみたいだ。
「オレ、なにか変なことを言ったか?」
「……いや、そうじゃないけど。……ああ、そうか。じゃあ、リオのやつが連絡していた相手っていうのは、おまえじゃなくて……」
「なんだよ?なにがどうしたっていうんだよ?」
 重ねて尋ねても、聖はひとり納得しているだけで一向に説明をくれない。憤りから、収まりかけていた感情が再び乱れるのを感じる。そして、抑える間もなく、いきなり聖に向かって大声を上げてしまった。
「おまえまでオレに隠し事をしないでくれよっ!」
「せ、瀬那?」
「嫌なんだよ!そうやって目の前で勝手に自己完結されるのが。オレは……結局はここでも蚊帳の外なのか?頼むから、オレの気持ちを置き去りにしないでくれ……!」
 どういうわけだ?たかがこれくらいのことで、こんなにも心が荒れるなんて。
 いきなり感情を爆発させるオレに、聖もどう応じたらいいのかわからない様子だ。そんな自分のぶざまな姿を、醒めた目のもうひとりのオレが呆れて見ている。
 ひとりで生きられると強がってみても、しょせんは孤独に耐えられない小心者にすぎない。目の前の現実から逃げて安心しているだけだ。そんなやつに本当の自由は手に入らない。
 ドームでも「外」でも、結局同じことの繰り返しじゃないか。
 そうやって自分を卑下するのが、自分をさらに追い詰めるとわかっていなかった。精神の不安定さを自覚できず、他人が付け入る隙を無防備にさらしているのだと、まったく理解できていないままだった。



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