ソノリティ〜ただひとりの君へ(10)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(10)



 ピピピピ!
 枕元の携帯が着信を知らせている。珍しい。この呼びだし音はメールじゃない。だけど、普通はこんな時間に電話などこない。
 訝しく思い壁の時計に目を向けた。針は日付が変わる寸前をさしている。
 取り上げ送信者を確認すると、相手はなんとリオだ。重ね重ね、珍しい。あいつとは互いの携帯番号を教え合ってはいたが、今までかけたこともかかってきたこともない。
「はい、どうした?」
「聖っ!」
 電話口からおよそリオらしくもない切羽詰まった声がする。
「なんだよ?なんかあったのか?」
「瀬那が……!」
「え?」
 告げられた名前に心臓が凍りつきそうになる。薬を手渡すためあいつと「外」で会ったのはつい二日前だ。ちゃんと無事を確認してきたというのに、ならば、どうしてリオから瀬那の名が出るのだろう。
「瀬那……あいつが、どうしたよ?」
「落ち着いて聞け。さっきノアから連絡があった。瀬那が、ドームに連れ戻されたらしい」
「なんだって!?」
 信じられない。だって、あのコミュニティに不穏な動きはなかった。本人の体調は万全じゃないようだったが、あいつはちゃんと集団に溶け込んでいたし、別れ際に「仕事をしているんだ」という話も聞いた。ノア以外にも親身になってくれる人間がいるのも見てきている。
 政府もラボも、正式には領土とみなされない「外」の世界にまで監視の目を向けていない。ましてや瀬那は、GCの証のピアスをつけていない。ならば、瀬那の所在は政府に知られていないだろう。「外」は気が遠くなるほど広い。そんなところにまで、万年人手不足の政府が、わざわざ追及の手を伸ばせるはずがない。
「どういうことだよ、リオ。ちゃんと説明してくれ!」
「詳しくは僕にもよくわからないんだ。それで、また頼みがあるんだが」
「た、頼み?瀬那を捜すのか?それとも、おまえには行方がわかっていて、それで俺に助けに行けと言いたいのか?」
 だが、リオの依頼はそのどちらでもなかった。
「ノアを迎えに行ってくれ」
「は?」
「ノアが自分に心当たりがあるという。だから、すまないがもう一度『外』に出て、ノアと一緒にドームへ戻ってほしい」
 頼む相手を間違っていないか?おまえがやるのが筋だろう。
 思わず反論が出そうになるが、すんでのところで踏みとどまった。リオ本人には、そうできないだけの理由がある。
 身内の誰かが政府を裏切った時点で、その一家にはある制限が課せられる。ドームへの入場の際、ほかの人間を伴えないという制限だ。
 一般の国民なら、その者が所属するドームへの出入りは自由に行える。ゲートで国民ナンバーを入力するだけで、それ以外はノーチェックだ。ほかのドームの知人や親戚を連れての入場も同じだ。
 だが、リオは一般国民とくくられていない。実の兄がドームを捨てたという過去が存在する限り、この原則は適応されない。
 ひとりだけで動くのなら制限はないだろう。でも、他人を迎えには行けない。
 だから、この役目をリオが担うのは無理だ。
「よりにもよって、俺はねえんじゃない?」
「ほかに頼めるやつなどいるか?」
「ううー……」
 ドームを捨てたGCになど、クラスメイトが関心を寄せるはずがない。俺だってリオだって、相手が瀬那だから気にかけているだけだ。ほかのやつでも同じ行動を取れるとはとうてい思えない。
「わかったよ。わかった!」
「助かる。君のことだから、最終的にはふたつ返事をしてくれるとは思っていたけどね」
 瀬那への過剰なこだわりは、リオにはすっかり見抜かれている。
 その後の会話で、ノアとの待ち合わせ時間と場所を教えられた。行動を起こす前に、会って渡したいものがあるとも言われ、それで通話は切れた。
 でも、いったい誰が瀬那にそんなことを?そればかりじゃない。あいつがドームに戻されたとなぜノアにわかるんだ?現場を目撃したとでもいうのか?――いや、それなら体を張ってでも阻止するはず。ノアはそういうやつだ。だったら、「外」のどこかにまだいるのかもしれないじゃないか。
 疑問は本人に聞くに限る。
 握りしめたままの携帯を再び開きキー操作をする。瀬那の番号はメモリーの最初に登録してある。家族より学校より、最優先のポジションにだ。瀬那の携帯は、きっと本人かノアのどちらかが持っている。
 瀬那がドームを捨てて以来、初めてコールした。拒絶が怖くて、今までこちらからかけようという気が起こらなかったからだ。
 だが、居場所が特定されるから電源は入れてないだろうとの予想どおり、無情にも「つながりません」というメッセージが流れるばかりだった。


「聖!いいかげんにもう起きなさい。このままじゃ遅れるわよ!」
 ノックの音に続いて、強い口調で急かす声がする。久しぶりに聞くおふくろのこの言い方。こんなふうにされなきゃなんないほど、俺はもうガキじゃない。
 えっと……あれ?今って、何時だよ。
 半分眠った頭で枕元の携帯を探る。確か起床時間に合わせてアラームをかけているはずなのに、今朝はそれがまったくわからなかった。
 いっけね!オフになってんじゃん!
 現状をとらえ、いっきに目が覚めた。ガバッと音が出るかと思うほどの勢いでベッドから起き上がる。
 そういえば昨晩、瀬那に電話がつながらないのに焦れて、思わず電源を落としちまったんだった。とにかく急がねえと!
 間が悪い。こんな日に限って寝坊だなんて、出鼻をくじかれてしまいそうだ。
それでもどうにか気分を立て直し、朝食もとらずに家を飛びだした。

 今日の行き先は学校じゃない。通学路に面した公園だ。ここで瀬那が立ち止まりよく空を見上げていた。辺りは、時間が少しずれただけでとたんに人通りが少なくなる。親にも学校にも内緒でサボるにはうってつけの場所だ。
「リオー!」
 公園の奥まったところにあるシンボルツリーの前で、約束の相手はモバイルを小脇に抱え足を軽く交差し立っていた。なにか考え事をしていたようで、声をかけるまでこちらに気づかなかったみたいだ。
「サボる時まで重役出勤か?」
「そう言うなよ。悪ぃ!」
 嫌味を言うわりには、なんだか浮かない顔をしている。まさか、あれからさらに悪い情報でも入ったりしたんだろうか。
「どうしたよ?」
「なにが?」
「いつも前向きなおまえにしては様子が変だ」
「そうかな?」
 答える声もどことなく覇気がない。むしろ、上の空といった感じがする。でも、計画は今さら変更不能だ。瀬那を無事保護するためには、悔しいがノアが必要だった。
「物事に前向きなのは、僕じゃなくて君の方だろう?君のそんな性格のおかげで、どれだけ瀬那が助かっていたか……。ほら、これが例のものだ」
 手渡されたのはピアスだ。それも二個。一見するとGCの証に似ているが、それよりひと回り大きい。つければ瀬那の耳の傷はすっぽりと隠れてしまうだろう。
 しげしげと見つめる俺に、リオが説明を加えてくる。
「ダミーなんかじゃないよ。ちゃんと機能は備わっている。ただし、それを使ってつながれるのは、装着した者同士に限定される」
「つまりは、一対一性の受発信装置ってこと?」
 確認すると大きくうなずかれた。
「ふたつともノアに渡してくれ。ひとつはノア自身に、もうひとつは瀬那を捜しだしたらあいつに必ずつけさせろ。どこまで人の目をごまかせるかわからないが、なにもしないよりマシだ」
「はーん。つまりは目晦ましの役割もあるってことだ」
「本当は偽のブレインゲートをつけさせたいところなんだが、残念ながら間に合わなかった。部品調達にラボの縛りがきいているせいで、それっぽいものを作るにも手間がかかるんだ。だからといってピアスがないのはもっと変に映る。民間人に疑問を抱かせるのが一番始末に終えないからな。無関係なやつらに知られ、政府に連絡が行くのだけは絶対に避けたい」
 正論だ。事件が公になっていないなら、普通の人間はGCになど興味を抱かない。
「僕が協力できるのはここまでだ。あとは、聖、頼んだぞ」
「了解!任せとけって」
 ノアと顔を合わすのは正直言って気が重い。俺は一度はあいつを見捨てている。そればかりか、不信感もいまだに持ったままだ。
 信用されていない相手に、ノアだって心を開くはずがない。なのに、それを無視してまで助けを求めてきたというのは、瀬那の身に迫った危険がいかに大きいかを意味する。
 お互い、背に腹は変えられねえってわけか。
 今一度、自分を納得させ、公園の公衆トイレで私服に着替える。いくらネオ・ヒューマンが他人に無関心とはいえ、この時間に制服姿のままでウロウロしているわけにはいかない。見咎められ、最悪、学校や家庭に連絡が行く恐れもある。
「おまえは?今日はサボりか?」
 リオのこのあとの動向が気になり尋ねたところ、意外な答えが戻ってきた。
「いや、遅刻になるが学校へ行く。だが、定時まではいないつもりだ。ノアをドームに入れるのに成功したら、携帯でもモバイルでもいい、連絡をくれ。合流しよう」
「……優等生がそんなムチャクチャな真似をしていいのかよ」
「誰も僕など気にかけないよ。万が一なにか訊かれたら、体調不良で中央病院(セントラルホスピタル)へ行くとでも言っておく」
 リオのやつ、なりふり構わずといった感じだな。
 ここまで過剰な態度の理由は、この前本人からきちんと説明してもらっていた。でも……。
「同じことを何度も訊くみてえで悪いんだけどさ……」
「なんだ?」
「おまえがそこまで瀬那に肩入れする理由って……やっぱり、そのー」
 問いかけた俺の顔つきが不満に見えたんだろう。とたんにリオが苦笑した。
「君の心配はたぶん当たっていないよ。別に瀬那に特別な思い入れがあるわけじゃない」
「じゃあ……前に言っていた、えーと、おまえの兄貴っていうのが影響しているだけなのか?」
「……いや……本当はそれだけじゃないんだ」
 今度は一転、真顔になり俯いてしまう。理由はそんなに単純ではないらしい。
「あえて言うなら……責任を感じているってところかな」
「責任?あいつらをドームに引き止められなかったから?」
「違う」
 意図的に逸らされた目が、瞬間、後悔の色を孕んだ。俺の知らないところで、かなりの大事があったとは薄々承知していたが、これはどうやら思った以上の出来事だったみたいだ。
「あの状況で、瀬那とノアが無事でいられるためには、『外』に出るしか取るべき道はなかった。だから、彼らの決心を聞いても止めなかった。その判断は正しかったと今でも思っているよ。僕が感じている責任は、それとは別だ。……瀬那に手を汚すよう、自分が彼に仕向けてしまったことに対してだよ」
「手を汚すって……なんだよ、それ」
 穏やかでないフレーズが出て、にわかに気持ちが乱れた。もう行かなくてはならない時間だというのに足が動かない。はっきり説明してもらえないままじゃ、とても次の行動へ移れそうにない。
「……瀬那が、政府やラボから狙われている理由は知っているか?」
「あいつが特別なGCで、政府の計画に不可欠な人間だからだろう?」
「それだけじゃない」
「じゃあ、『ゼウス』を一時的にでも機能停止にした犯人だから?」
「そうだ。でも、機能停止はなぜ起こった?」
「『ゼウス』がノアに干渉して、人工知能をクラッシュさせようとしたからだって、そう説明してくれたのはおまえだぜ。それを止めるために、瀬那とふたりで『ゼウス』の電源を落としたって」
「確かに電源は落とした。でも、それで支障が生じたのはマシーンとしての『ゼウス』だけじゃなかった。……信じられないかもしれないが、アレにはコアが別につけられていたんだ」
「コア?あのスーパーコンピュータに、このうえなにが必要だったっていうんだよ」
 疑問を投げかけると、はっきりと辛そうな顔になる。言いにくいイコール重大事との連想が、にわかに頭に浮かんだ。
「ファジーというものは、それなりに研究済みの分野だが、ゼロか一かの組み合わせしか持たないコンピュータが表現するには自ずと限界がある。手っ取り早く正解に導く方法としては、理論上はマシーンに人格や感情を持たせるのが一番だ」
「人工知能っていうのが、それに相当するんじゃないのか?」
「確かにそうだ。でも、『ゼウス』クラスの容量と処理能力となると、それでは全然まかないきれない。それをカバーするため、コアがつけられたんじゃないかと考えている」
 急に風が吹き始めた。見ると、いつの間にか太陽が雲に隠れている。さっきまでの明るい景色が、一転して寒々しさをまといだす。話の深刻さを映しているようで、暑がりの俺でも思わずブルッと身震いが走った。
「ラボは『ゼウス』で試していたんだろう。はたして、自分たちの理論が正しいかどうかを。……コアの正体は……人間の脳だ」
 現実味のなさから、リオの言葉が頭を素通りしてしまう。反応を返せない俺には構わず、リオは話の先を続ける。
「ノアを使い瀬那にアクセスしていたのは、コアであるその『脳』だった。ラボと政府は、GCとコアとの融合をもくろんでいたんだ。実験台になったのは、僕らと同年代の少年だ。その少年と近い条件を満たすという意味で、ターゲットに瀬那が選ばれたんだろうな」
 同い年の少年?そういえば、ノアも俺たちと同年代の姿をしている。瀬那とその少年の媒体となるなら、そうであってもおかしくはないが……。でも、なにかが引っかかる。
 納得のいかない顔をしていると、リオがようやく俺と目を合わせてくる。
「もうわかっただろう?聖。『ゼウス』を機能停止に追いやった行為が、同時になにを意味しているのか」
「その……コアを瀬那が破壊したと?」
「そう、破壊だ。僕はずっとノアにそう言い続けている。あれは破壊で、決して殺人などではない」
 ああ、そういうことか。
 リオのこだわりの理由と、瀬那の落ち込みの原因がやっとわかった。
「でも、そうしねえと三人とも命が危なかったんだろう?だったら正当防衛じゃん。おまけに、その脳みその持ち主とは面識があるわけじゃねえんだし。そうまで気にする必要なんかねえんじゃないの?」
 だが、リオからは返事がない。しばしの沈黙のあと、大きく息をつき、およそあいつらしからぬ自信なげな答えが戻る。
「面識は……確かにない。でも、まったくの他人というわけではないのかもしれない」
「どういうことだよ?わけわかんねえぜ。俺にわかるように話せ!」
「脳の主というのは……」
 リオが言いかけたその時、ほおに雨を感じた。今日の予報は晴れのはずだというのに、いったいどうしたというのだろう?
 だが、そんな戸惑いは一瞬で消え去る。今は天気よりリオの話の方が重要だ。
「雨か……。想像以上に、データの劣化は進んでいるみたいだな」
「天気なんてーのはどうでもいい。それより、脳の主って――」
「ノアのオリジナルだよ」
「……え?」
「彼が兄と慕って大切にしていた人物。レダという名前のノアのオリジナルが『ゼウス』のコアだったんだ」
 降り始めた雨が段々と本格的になる。傘を持たない俺たちだったが、濡れるのを防ごうとは考えなかった。立ちすくんだまま一歩も動けない。
 先に行動を促したのはリオだ。
「このままじゃ濡れる。とりあえず木の下に入ろう。少しやり過ごせば大丈夫だろう」
 力の入らない足を引きずり、二歩三歩と前に進む。頭は完全に麻痺していた。リオの話が本当なら……瀬那は……。
「破壊の方法を教えたのは僕だ。だけど、僕ひとりでやるべきだった。瀬那に協力させてはいけなかったのかもしれない」
「でも……そうしなきゃ、『ゼウス』に殺されていたんだろう?」
 確認に大きくうなずくリオは、混乱する俺とは逆に平常心を取り戻している。時間がないというのを思いだし、おそらくは、これ以上この話題を続けるのを避けたいのだろう。
「だが、アレを正当防衛と割り切れる僕とは違い、たぶん瀬那の苦悩は収まらなかったんじゃないかな?ノアと意識を共有していた時に、レダへの思いの大きさを嫌というほど感じ取っていたためかもしれない。人を殺めたという認識は、ずっと覆らなかったんだろう。あれほど精神的に不安定になったのも、これなら納得がいく。単に体の不都合だけで、あの瀬那がこんなふうに崩れるわけがない」
 そうか、そうだったのか。
 それじゃ、ノアに相談できないはずだ。
「きっとその辺りをつけ込まれ、ドームに連れ戻されたんだと思う。彼が引き止められなかった理由も、これなら説明がつく」
 なるほど。やっぱりノアはその現場に立ち会っていたのか。だとすると、連れ去った相手もわかっているに違いない。だから、あえて危険を冒しドームへ戻ろうとしているわけか。
「……どうやら、やんだみたいだな」
 空を見上げリオが呟く。通り雨にすぎなかったらしく、もうそこかしこに青空が広がり始めている。
「行ってくるぜ」
 決意を込めて宣言した。
「幸運を祈っている」
 現実主義のリオらしくもない台詞に一瞬胸が詰まるが、それを振りきるように、雨上がりの道を走りだした。



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