ソノリティ〜ただひとりの君へ(9)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(9)



■ 4th. Movement ― 喪失

 「ゼウス」の事件以来、オレはその答えをずっと追い続けている。そして、あいつと意思疎通がうまくいかなくなるたび、得られる正解はひとつしかなかった。
 オレはノアに疎まれている。
 必要以上に干渉してこないだけなら、それは気づかいの現れとも取れる。でも、本心を頑なにのぞかせない態度は、レダの呪縛から解き放たれたノアが、オレとの生活を鬱陶しく感じ始めている印としか思えない。
 今回のこれもそうだ。

 どうして力ずくでオレを引き止めなかったんだろう?
 ――離れたいと望んでいるからじゃないのか?

 ドームでノアがあれほどオレに執着したのだって、オリジナルが求めたからととらえれば合点もいく。今までそばにいたのも、本当はオレを監視するためかもしれない。だから内緒でドームの人間と連絡を取り合っていた。その相手がラボじゃないという確証はない。

 混乱が収まらない状態のままで、レダの誘いに乗りドームへ戻った。
 ゲートを潜ったとたん、有無を言わさずアイマスクをつけられた。おそらくは、行き先を知られないための用心だ。でも、どこへ連れて行かれようと抵抗するつもりはまったくなかった。後戻りできないのは、自分が一番よく知っている。
 ところが、再び視覚の自由を取り戻した時、目に飛び込んできた光景の異常さに言葉を失ってしまう。人が暮らしているとはとても思えない。よりにもよって、なぜこんな場所を選んだんだろう?
 荒れた感じではないが、かといって手入れがされているふうでもない。最近までまったく使われていない可能性が高かった。
 レダはここにオレを閉じ込めるつもりだ。そのためにわざわざ用意した部屋なのか。
 ずっと麻痺していた頭が、ここにきてようやく正常に動くようになった。普段なら、こんな狙いくらいすぐに察知できそうなものなのに、らしくもない失態だ。
 ここまでショックが尾を引いた原因はわかっている。ノアの態度だけが理由じゃない。死んだとばかり思ったレダが生きていたからだ。
 オレたちが機能停止させたスーパーコンピュータ「ゼウス」。そのコアである「ヒトの脳」は、紛れもなくレダのものだった。事実、「ゼウス」と対決した時に、レダ自身から肯定の言葉を聞いている。
 いわく、自分はノアのオリジナル。そして、あいつが兄と慕う人物なのだと。
 あの台詞がウソじゃないなら、オレは間違いなくレダを手にかけた。だったら、生きて目の前にいる現実と矛盾している。
 ノアそっくりな姿かたちは、やつがレダだという確たる証拠だ。ノアだって、本人を目にしレダだと認めていた。

 納得がいかない事実の数々と、自覚もなく夢を侵されていたという恐怖心が、オレから睡眠欲を奪ってしまった。昨晩は同じ部屋にレダがいる緊張感もあり一睡もしていない。
 けれども、今朝から相手は不在だ。部屋に漂う異常なほどの静けさと寝不足が作用したのか、さっきから頭がぼんやりし始めている。
 鍵は……かかっている。レダは、出かける時の言いようだと夕方まで戻らない。
 次第に、体を支配するこわばりが解けていく。ひとりでいる安心感から、そのまま倒れるようにベッドへ身を横たえた。もう、目を開けていられない。
 薄れる意識に代わって、遭遇したことのないシーンが頭の中に広がった。夢を見ているのだととっさに思うものの、それにしてはちょっと様子が違う。
 そして、この感じには、かなりの度合いで身に覚えがあった。
 半年ほど前に毎晩悩まされた悪夢。夢でノアを演じさせられていた自分。包み込んでくる感覚がその時と同じだ。
 今度は誰の身代わりをさせられるんだろう?
 これから起こる出来事は自分には危害が及ばない。経験済みの余裕が、かつて遭遇した時よりオレに落ち着きを与えてくれた。


 ここは――。
 思い違いでないなら、この場所には来たことがある。あの時も夢でだった。体の自由を奪われたノアが、なにかの実験を繰り返し受けていた。視界の端に見えるカプセルに拘束されていたのだろう。確かあの中にノアがいた。
 自分の意識が乗り移った相手は、どうやらベッドに寝ている状態のようだ。ノアの時ほど動きを束縛されていないらしく、手足を戒める感じはまるでない。
 ただ、頭になにかをかぶせられていた。顔の向きを変えようとするが、重量のあるそれがじゃまして首の力だけでは無理だ。
「レダ、俺がわかるか?」
 耳も生きている。様子をうかがおうとする声。予想どおりの名で呼びかけられて、この夢の主の正体もはっきりした。
「手足の感覚はちゃんと戻っているか?」
「……はい。思いどおりに動かすにはまだみたいですけど……なんとか」
「それはよかった。見たところ、会話にも支障はないようだな。すべてを取り戻すのも時間の問題。もうしばらくの辛抱だ」
 声をかけた男の顔をじっと見るが、思い当たる者はいない。年の頃は、父さんより少し上だろうか?プラチナブロンドの頭髪や、ひげに覆われた顔からは年齢が推察しにくい。
 でも、誰かに似ている。
「政府のやり方は手ぬるい。GCを野放しにしているからあんな事件が起こるのだ」
 周囲には数人の医師か科学者を思わせる人たち。メーターの数値をチェックしたり、中にはレダの手足を触って反応を確かめる者もいる。
「ですが、あんな大それた真似を仕出かす者などイレギュラーですよ。すべてのGCがそいつと同じとは限りません。しかも、こうなることへの原因をつくったのはGC本人じゃない。ボクのレプリカでしょう?」
 レダの問いかけに、男は大きくうなずき、同時に苦々しい表情を浮かべた。
「本当に使い物にならんアンドロイドだ。というより、人工知能のプログラミングを任せた人間を間違えたのだろうな。まさか、あいつがこの俺を裏切るとは」
 吐き捨てられた台詞の意味は理解できないが、ところどころに出てくる単語には思い当たるものがある。
 大それた真似をしたGCとはオレだ。そして、使い物にならないとやつらがさげすむアンドロイドがノア。
 だとすると、ノアの人工知能をプログラムした人物はいったい誰?結果論だが、その人がラボと政府の計画を阻止したことになる。そして、ノアとはどういう関係にあるんだろう?
 疑問を感じていると、図らずも男から解答に当たる話が飛びだす。
「実の息子の代わりにと与えたアンドロイドに、あろうことか本来の目的から外れる仕掛けを施すとは……!あいつは、俺の気持ちを踏みにじったわけだ。機械に感情だと?そんなものは余計なだけだ!」
「だけど、あなたも『ゼウス』に人格と感情を持たせようとした。ボクの脳を使ったのも、そのためなんでしょう?」
「違うよ、レダ」
「違う?どこがです?」
「俺は『ゼウス』を人間のようにしたかったんじゃない。おまえに全知全能の力を授けたかったんだ。そして、『ゼウス』の能力を使い、世界のすべてをコントロールする。理想郷を息子のおまえとつくり上げたい。そう願ってのものだ」
「ああ。主体はあくまでボクだったのだと……。お父さんはそうおっしゃりたいのですね」
「当たり前だ。人間はいつ何時でも機械の上に立つべき存在。そうでなくては意味がない」
 会話を交わしているこのふたりが、まさか実の親子だったとは……!おまけに、ノアに関わった人物はレダの母親だという。
 そして、もっと驚愕の事実。
 レダの父親は、自分の息子を使って「ゼウス」を手中に収めようとしていた。この国の全権を支配するスーパーコンピュータの私物化を企てていたのだ。
「機械に頼るあまり、人としての有りようをないがしろにするネオ・ヒューマンなど論外だ。ここにいる同志の中に、そんな愚かな考えを持つ者はひとりもいない」
「それが、政府と決別した理由ですか」
「おまえというGCを授かったのも、神のご意思にほかならない。政府の連中は、ほかのGCで可能性を試そうとしているらしいが、それはムダな足掻きというものだ。『ゼウス』との融合を運命付けられたあのGC以外に適合者などいないんだからな。そして、そいつは今、このドームにはいない」
「……ボクを殺してドームを捨てた」
「そうだ。裏切り者のアンドロイドと一緒にな」
 ふいに自分の意識がレダの体から離れた。いつの間にか、ふたりの様子を見られる位置に自分自身の姿で立っている。オレを認めたレダとその父親が、なめつける視線をゆっくりと向けてくる。
「君が必要なんだよ、瀬那(せな)」
 冷酷なレダの声。
「そうだ。レプリカとのリンクの経験を持つおまえなら、政府の『ゼウス』に対抗できる。悪いことは言わない。リンクに関するデータをすべて渡せ。そして、レダと融合するんだ。そのために、おまえを保護したんだからな。ドームに戻っているのに、政府から消されずにすんでいるのは、全部われわれのおかげだ。せいぜい感謝することだ」
 父親の言葉に従うかたちで、レダがベッドから起き上がりオレに近づく。ノアより心もち低めの位置から、執念深げな目で見られた。ゆっくり伸ばされた両手がオレのほおを包み込み、そのままギリギリまで顔を寄せてくる。
「瀬那。君はボクのものだ。観念しろ。もう逃げられないよ」


「うわっ!」
 目覚めは最悪だった。あまりにリアルな夢のせいで、現実との境が一瞬わからなくなる。追い討ちをかけるかのように、少し遅れて恐怖が襲ってきた。
 なんなんだ?いったい。
 頭は混乱を極めていたが、ひとつだけはっきりしたことがある。
 このままここにいては危ない。
 とにかくレダが戻る前に逃げなくては。とっさにそう判断したオレは、覚醒が不十分なせいでふらつき気味の足を叱咤し、なけなしの力でベッドを抜けだし立ち上がる。その状態のままでドアへ向かって歩き始めた。
 レダの狙いは、オレの中にあるノアとのリンクデータだ。どうやってそれを入手するつもりかはわからない。レダとの融合を求めるところをみると、夢を侵した時と同様、ノアを使うつもりなのかもしれない。でも、それにしては本人を一緒に連れ帰らなかった。そればかりかじゃま者扱いしている。
 相反する事実のせいで頭の中はゴチャゴチャだ。今のこの状態では、正しい道筋で考えを巡らすのは無謀に等しい。なので、結論を導くのをあきらめ逃げるのを優先する。
 だが、ようやくの思いでドアまでたどり着いた時、ある重要な問題に気づいた。
 あ……。しまった!鍵……!
 さっき確認したばかりだというのに、今の今まで失念していたなんてバカだ。
 当然ながらドアはロックされている。それも一箇所ではない。内側からは開けられない錠が存在するようで、それを突破しない限り外へは出られない。
 ズルズルと体が床へ崩れ落ちた。やつらの用意周到振りが恨めしい。当たり前だ。あのレダが、こんなところで落ち度を見せるわけがない。
(悪足掻きか?君もあきらめが悪いね)
 突然、直接頭に響く声。
(夢の感想は?君がどう思ったか、ボクに教えてくれない?)
 謀られた!あの夢は最初から用意されていたものだったんだ。
 レダが出かけたのも、緊張のあまり休まらないオレの状態を見切ったうえでの行動だ。ひとりにしておけば、疲労がピークに達し、やがては眠らずにいられなくなると予測したんだろう。
 あいつの方が何枚も上手だ。かなわない。
 落胆を覚えたとたん、寄りかかっていたドアが音もなく開く。弾みで体が床へ投げだされてしまう。
 入ってきたのはレダだ。ぶざまに床に転がるオレを見下ろしながら、余裕たっぷりで話の続きを告げてくる。今度はちゃんと声にして。
「もうわかっただろう?GC瀬那。ボクは、伊達や酔狂で君を迎えに行ったわけじゃない。……どうしても必要なんだよ、君が」
 自分を執拗に求めるさまが恐ろしい。同じ執着でも、ノアのそれとは意味合いがまるで違う。
「ラボが用意してくれたバックアップのおかげで、ボクはこうして蘇れた。生身の体と機械の脳が今のボクを形づくっている。――でも、それだけじゃ完全じゃないんだ」
 突きつけられた現実に眩暈を覚える。レダを復活させるために取られた手段のエグさが、吐き気を伴いオレに襲いかかる。
 やっぱり、破壊した「ゼウス」のコアはレダだった。でも、死んだはずのレダは、こうやって生きて目の前にいる。機械という究極の助けを借りた姿で。
 そこまでして蘇った理由はなんだ?望みを絶たれたことへの執念?あるいは、自分を殺めたオレへの復讐なのかもしれない。
 恐怖に震えるオレを見て、レダはいっそう気をよくしている。薄く笑いを口元に浮かべ、腰を落としオレと視線の高さを合わせてきた。
「ボクが完全になるために、どうしても足りないものがある。それが瀬那、君だよ」
 両手が伸ばされ、夢と同様にほおを包み込まれた。触れられたショックで動けないオレを、真顔になったレダの鋭い眼光が射抜く。
「……それじゃ……ノア…は?」
 自分から出たのは的外れとも思える質問だった。続きを聞きたくないという気持ちから、無意識のうちにあいつの名前を口走ってしまう。
「ノア?あんな偽物を欲しいのは、ボクじゃなく政府だろう。政府は、レプリカの中の『ゼウス』に関するデータが必要なんじゃないのかな。愚かだね。感情が勝った時点で、そんなデータなどクズ同然だというのに。外部記憶装置としてのあいつを買いかぶりすぎている。実際はバグだらけの欠陥品だというのを、やつらはわかっていない」
 憤りを含む言い方のあと、いきなり力任せに体を突き放された。
 短めのプラチナブロンドに縁取られた、ノアそっくりの端正な顔が醜く歪む。自分とノアを同列にされるのが一番我慢できないものらしい。
「だけど……昨日おまえは、オレとシンクロできるのはノアがいたからだと言っていた。あいつなしで、どうやってオレの中に踏み入るつもりだ?」
 問いかけへの答えは笑いだった。それも、バカにするような高笑い。そんな不躾な態度への怒りが、離れそうになっていた意識を引き戻した。
 力を取り戻した目でレダをにらみつける。
「まさか、またオレにピアスをつけるとでも?」
「そんなものは、いらない。気づかないの?瀬那。君の体の中では、すでに変化が始まっているんだよ。アレのおかげで増幅された精神波が、君の意識と記憶の正しい居所をボクに教えてくれている」
「体の……変化?」
「そうだよ。……本当に心当たりはないの?そんな無防備なままで、よく今まで『外』で生きていられたね。よほどあのレプリカが用心深いのかな?」
 そう言われても、悔しいがまったく思い当たるものがない。困惑から視線を逸らすオレを、レダがさらに卑下してくる。
「GCっていうのは、本質的に家来に守られる王子様なのかな。だとすると、ボクの腹心が手を下した時、レプリカは君と一緒じゃなかったんだ。ふふふ。あのアンドロイドの悔やむ顔が目に見えるようだ」
 ノアの忠告もあって、オレはめったにひとりで外出しない。出かける時は、たいていあいつとふたりでだった。コミュニティの人びとに、オレたちの関係が特別と思われるゆえんでもある。
 でも……そういえば。
 レダの言葉に、ようやくなにかが見えそうになる。互いの気持ちの行き違いから、ひとりで家を飛びだしたのは昨日の昼だ。あのあと……なにがあった?
「それにしても、あの男はかなり使える。ただのネオ・ヒューマンにしておくのはもったいないくらいだよ。機械工学のスペシャリストとは知っていたが、薬学に関してもここまでだとはね」
 機械工学のスペシャリスト?薬学の知識?
 立て続けに出された単語のせいで、聖(ひじり)の台詞が記憶に蘇る。
 ――飲めば少しは体が楽になるって言ってたぜ。リオのやつ、機械工学だけじゃなく薬学の知識もあんだな。ちょっとびっくりだ。
 自分が導きだした答えに絶句してしまう。
 レダの話に思い浮かぶ人物はただひとり。リオだけだ。
 聖が持ってきた抗アレルギー作用があるという薬。あれを飲んだ場面に、確かにノアはいなかった。
 頭が変になりそうだ。誰が味方で敵なのかわからない。
「……だからもう、あんな出来損ないなど必要ないんだよ」
 低く囁きかけながら、もう一度至近距離まで来られた。一歩だけあとずさるが、そこまでだ。背中に壁を感じ、逃げ場がないと観念する。
「世界はボクと君のものだ。さあ、瀬那。ボクを受け入れてくれ」
 このままレダに食われてしまうのだろうか。「ゼウス」との対決の件を思えば、オレに勝ち目などない。精神を記憶ごと吸い取られ、あとに残るのは、たぶん空っぽのイレモノの体だけだ。
 閉じたまぶたの裏に、ふいにノアの笑顔が浮かんだ。

 ――自分をまるごと譲り渡すのなら、相手はノアがよかった。

 ドームの「外」に置き去りにしてしまったことを、今さらながら後悔した。



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