ソノリティ〜ただひとりの君へ(8)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(8)



 さして広くもないコミュニティだが、人を捜すとなるとさすがにひとりでは無理がある。さっきからずっと走りっぱなしだ。でも、機械の体のおかげで、精神面での疲労とは違い体力には限界がない。
 校長からドームでの「GC狩り」の話を聞き、別れの挨拶もせずに学校を飛びだしてしまった。とにかく不安ばかりが先に立つ。瀬那の無事をこの目で確かめない限り、きっと平常心に戻れない。
 ラボと政府を裏切り、彼らの道具だというのに瀬那の味方についた。その時からずっと考えは変わっていない。

 瀬那のためにこの身を捧げる。それで、すべてを失ったとしても本望だ。

 メモリーにインプットされたラボへの服従心は、本来ならそんな戯言を許してくれない。だけどぼくは、瀬那本人と出会う前から彼を優先させていた。ラボの指示に従わず、自己判断で夢でのリンクを試そうとしたのがいい例だ。
 自らメモリーを操作するのは案外バレにくい。瀬那の存在を知り彼の有りように惹かれたぼくは、迷わず自分の欲望を優先させてしまった。服従心に関わるデータの一部を封印したが、最後までラボはこの事実に気づかなかった。
 封印を解く鍵は、たぶん瀬那を失うこと。彼が、身も心もぼくから離れてしまった時、自分がどうなるかわからない。最悪、機能停止だってあり得る。
 それだけに、瀬那の安否が問われる事態に見舞われるたび、どうしても自制心がきかなくなった。今のこの状態も、まさしくそれだ。

 どこだ?瀬那!
 闇雲に走り回っていたにもかかわらず、幸いにも遠くにそれらしき人影を発見する。少し疲れているみたいだが、思ったほど具合は悪くなさそうだ。
「瀬那っ!」
 だが、大声を上げ走りだそうとしたそのタイミングで、突然何者かが意識に侵入するのを感じた。
 普段なら絶対に見舞われない眩暈を覚えたとたん、体と意識のつながりが断たれる。自分の体だというのに、今はまったく自由にならない。
 なんだよ?これ。いったいぼくはどうしたというんだ?
「……ノア?こんなところでなにをしているんだ」
 呼びかけに気づいた瀬那が歩み寄りながら話しかけてくる。
「君を捜していた」
「オレを?……ああ、この時間になっても家に戻っていなかったから、それでか?」
「違うよ」
 しゃべっているのは誰だ?ぼくじゃない。ぼくはここにいる。じゃあ、誰がこの体をコントロールしているというんだ?
「違うって……。サイモンのところへ行っていたんだろう?けど、ずいぶん前に帰ったって聞いたぜ。……ノアこそ、今までどこにいたんだよ」
「だから、君を捜していた」
「……」
 腑に落ちない顔つきの瀬那に、おかしくてたまらないといった笑いが自分の口からこぼれる。ぼく自身の声だというのに、まったくの別人に思える。それは…まるで……。

 いや、あり得ない。

 自分の推理が正しいと結論付けるのは簡単だ。だけど、その人物はぼくの目の前で死んでいった。脳を収めた円柱の水が薄茶に濁るのを目撃している。あの状態で助かったとは絶対に思えない。

 でも、この口調は間違いなくあいつのものだった。

「レ……ダ?」
 ぼくと同じ考えを持ったのか、半信半疑の問いかけが瀬那から出る。それを肯定する意味で、体を支配する何者かがにっこりと微笑み返した。
「ちゃんとわかっているじゃない。他人が言うほど、君は鈍感じゃないよ。……約束しただろう?今度会う時には実体同士でねって」
 ぼくの声色で、でもレダの言い方で瀬那に言葉をかける。
 驚きから目を見開く瀬那だったが、その一方で、なぜか腑に落ちたという感じものぞかせている。
「思っていたより早く実現できて嬉しいよ」
「そうか……そういうことか、レダ」
「なにをひとりで納得しているの?これで種明かしはおしまいじゃないよ。……ついておいで。もっとすごいものを見せてあげる」
 ダメだ、瀬那。そいつがレダなら、挑発に乗ると取り返しのつかないことになる。
 体が意のままにならないのが、こんなにも歯がゆいとは思わなかった。当然、ぼくの考えは瀬那に届いていない。
 差し伸ばされた手をじっと見つめる瀬那の腕を、笑いを浮かべたレダが強引につかむ。そして、半ば引きずるようにドームのゲートを目指し歩き始めた。
「オレに夢を見させていたのは、おまえの仕業か」
 瀬那からの唐突な問いかけ。でも、夢の話は初耳だ。
 単純に不調からうなされていたと思い込んでいたあれが、まさかレダから瀬那へのコンタクトだったとは……。
 現状を軽く見ていた自分の落ち度を悔いる。
「そうだよ。ノアとの一件で学習済みじゃなかったの?」
「だけどあれは、オレのピアスを媒体にしたって聞いているぜ。今のオレには、残念ながらピアスはない」
 疑問はぼくも同じだ。夢へのアクセスは、覚醒時よりは容易といえ、交信のためのツールがなければ無理だ。エスパーじゃあるまいし、機械の助けなしでそんな真似ができるとは思えない。
「媒体なら、ちゃんとあるだろう?」
「……どこに?」
「本当にわからないの?やっぱり鈍感だね。懲りずに君を買いかぶりすぎたかな。ちょっとがっかりだ」
 高慢で不遜な言い方。レダのこんなところは、「ゼウス」のコアだった時と少しも変わらない。
「君のそばにいつもあって、君と一緒にいるもの。それが媒体だよ。さて問題です。それって、なーんだ?」
「……バカにしているのか」
「時間切れー。残念でした。正解は――」
 瀬那の文句には耳を貸さず、回答を表す言葉を告げたレダがゆっくり自分を指差した。
「まさか……」
「そう、答えはボク。といっても、レプリカの方だけどね」
 レダの説明に瀬那が絶句する。
 先に理解したのはぼくだ。
 自分にはラボへの受発信機が内蔵されている。それをレダが利用したとしても、ちっとも不思議じゃない。レダの後ろにラボがいるならなおさらだ。
「夢でのランデブーはとても楽しかったね。だけど、それだけじゃ我慢できなくなったんだよ」
「だから、今度はノアの体を乗っ取ったのか」
「乗っ取る?とんでもない。ノアはボクのための道具だよ。どう使おうと、それはマスターの自由だろう?」
「それじゃ、合意の上でのことだというのか?」
 誤解だ。ぼくは瀬那を裏切る真似など絶対にしない。
「だったらどうなの?まあ、そうはいっても、こんなニセモノにはもう興味ないけどね。こいつを使ったのは、一番手っ取り早かったからだよ。……言っただろう?もっとすごいものを見せてあげるって」
 平然とウソを並べるレダに、抑えきれないほどの憤りを感じる。でも、瀬那は決してレダに流されないと必死に信じた。

 やがて、ぼくらが向かう先にドームのゲートが見えてくる。ここに来たのは、半年前にドームを出て以来だ。
「ほら、見てごらん」
 左手は瀬那をがっちりつかんだまま、空いた方の手で視線の先を指し示す。
 ゲートのそばに小柄な人物が立っていた。短めのプラチナブロンドの髪が、吹きすさぶ風に激しく煽られている。
 距離が縮まるにつれて、顔かたちが認識できるようになる。そして、信じられないことに、それは自分にとって最も見覚えのある姿だった。
 あれは、ぼく?……そうじゃない。そうじゃなくて……レダだ!
「な、なんだよ、あれは!」
 受けたショックの大きさはぼくの比じゃなかったのだろう。声を震わせ立ちすくむさまが、瀬那の混乱ぶりを如実に表している。
 それを楽しむかのように、レダが瀬那に低く囁きかけた。
「さあ、猿芝居は終焉だ。ノア、ご苦労だったね。さすがにボクの手足だけはある。GCの信頼をここまで得ていたなんて、見事としか言いようがないよ」
 言い終わったと同時に、いきなり体と意識がつながった。レダがぼくから出て行った証拠だ。
「瀬……那」
「……ノア」
 瀬那の目が冷たい。ダイレクトにそれを向けられ、ブルッと体に震えが走る。こんなふうにされるのは、一緒に暮らすようになって初めてかもしれない。
 まさかと思うが、レダの話を鵜呑みにしているのだろうか。ぼくよりレダを信用しているとでも?
 動けなくなったぼくと瀬那の間に、実体を伴うレダが割り入ってくる。そして、かつて瀬那にあんなひどい仕打ちをしたとは思えないほど、穏やかな口調で挨拶を告げた。
「久しぶりだね、GC瀬那。……いや、むしろ初めましてと言った方がいいのかな。夢での約束どおり、君に会いにきたよ」
 ダメだ、瀬那。そんなやつなどきっぱりと拒絶してくれ!
 レダの背中越しに、すがる思いで念を送る。けれども、そんなぼくの願いは、レダのせいで彼に伝わらない。
「さあ、行こう。君の居場所はちゃんと用意してあるんだ。『外』で生きるなんて、奇跡の子にはふさわしくない。ボクが一緒にいてあげるから、もう寂しくなんかないだろう?心配することなどなにもないよ」
 猫なで声で語りかけるレダのあまりのあざとさに悪寒が走る。
「……ノア…は?」
 ようやく口を開いた瀬那が、一瞬ぼくを気にかける素振りを見せた。だが、レダにこの流れは織り込み済みだったらしく、余裕の態度で質問に応じた。
「瀬那は優しいんだね。こいつは君をだましたレプリカなのに、まだそんなにも気にかかるの?」
「違うっ!ぼくは瀬那をだましたなど――」
「黙れよ」
 反論しようと口を挟んだのを遮られ、おまけに鋭い目でにらまれた。使えないとぼくを判断した考えに変わりはないみたいだ。
「おまえの意見など求めていないよ。今、瀬那はボクと話をしているんだ。じゃまをしないでくれるかな」
「だからって、そんな根も葉もないことを言われる筋合いはない!」
「根拠がないって?……本当にそうなのかな。だったら、なぜ瀬那に内緒でドームの人間と連絡を取り合っていたんだ?」
「そ、それは……」
 理由は言えない。心配でリオに相談していたなんて、きっと瀬那のプライドが許さないだろう。それでなくても瀬那は他人を頼らない。自分の知らないところで、自分の意に反してそんな真似をされていたなど我慢できないはずだ。余計なことをするなと激怒されてもおかしくない。

 言いよどむぼくを見て、レダは勝利を確信したようだ。これ以上関わっていられないとばかりに、瀬那の腕をつかみ、無理やりにならないギリギリの感じで自分の方へと引き寄せた。
 そして、ぼくには最後通告。
「おまえにはボクの手を汚すほどの価値もない。勝手にどこへでも行くがいい。部品がスクラップになるまで、せいぜい生にしがみついて足掻けよ」

 瀬那。お願いだからぼくを見てくれ。

「おいで、瀬那。疲れただろう?ボクが君を労わってあげる」
「瀬那!」
 名前を叫ぶが、向けられる視線の冷たさに変化はなかった。ミッドナイトブルーの、このうえもなく魅惑的な瞳に、もう自分は映っていない。

 どうして?なぜ、ぼくじゃなくレダなんだ?

 目の前でゲートが音もなく閉じられる。国民ナンバーを失った自分には立ち入れないドームに瀬那を奪われ、ひとり呆然と立ちすくむ。
 ああ、そうか。きっと聖もこんな気持ちだったんだ。同じ仕打ちをされてようやく気づくなんて愚かだ。ぼくはなんて惨いことをしたんだろう。
 大切な人をさらわれた悲しみと過去への懺悔。ふたつの錯綜する思いは、自分から正しい判断を奪ってしまった。レダの暴挙を制するため、リオと連絡を取るという最善の手段すら、まったく考えつかないままだった。



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