ソノリティ〜ただひとりの君へ(7)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(7)



■ 3rd. Movement ― 絆

 オレは、自分をあきらめのいい人間だととらえていた。だけど、それももう自信が持てない。ノアと出会ってから、ずっと心が揺れ動いている。
 「ゼウス」のコアを破壊したあの事件がきっかけとなり、物心ついて以来、本心を押さえ続けていたツケがいっきに出てしまった感じだ。
 だからなのだろうか。ほんの些細な会話でも、なにかひとつ納得できないだけでダイレクトに感情の乱れにつながってしまう。その相手はなにもノアに限らなかった。

「瀬那(せな)……」
 幼なじみだからわかる。聖(ひじり)のこの口調は、かなり困った時の言い方だ。
「おまえさ、もしかして後悔してるのか?」
 違う、そうじゃない。あの時、誰かにこの選択を強いられたわけではない。かといって、ほかに選びたい道もなかった。
「だったら今すぐドームへ戻ろう。心配ないさ。俺がおまえを守ってやる」
 俺がおまえを守る。――ぼくが瀬那を守る。
 聖の台詞に真剣な瞳のノアがダブった。ドームを出てからこっち、なにかあるたびごとに、あいつにはそう繰り返された。
 他人が思うオレは、ひとりじゃ生きられないほど弱い人間に見えるのだろうか?自分の身ひとつ守れない情けないやつだとでも?
 返事ができない。理性は断れと訴えるのに、心は聖の誘いに傾く。
 疲れたという表現するのが一番正しいのかもしれない。自分を取り巻く不都合に耐えるのに疲れた。
 なんでもいいからいったん自分をリセットしたかった。そのためにはドームに戻るのが最善の道にも思える。その時に、GCという立場が有利に働くのではないかとも想像できた。政府もラボも同じ轍など踏みたくないはずだ。迂闊な真似はしてこないだろう。
 でも……ノアは違う。見つかればきっとただではすまない。

「自分ちに帰りづらいなら、俺んトコ来てもいいんだぜ。おやじもおふくろも、おまえが居ついたくらいでそれをどうこう言わねえよ」
 聖の家は好きだ。こいつの両親は、オレと普通に接してくれる数少ない大人だった。オレが精神的な虐待を受けていると知った時にも、唯一父さんと母さんに意見してくれた。結局、それは形だけの忠告に終わったが、他人に関心の薄いネオ・ヒューマンとしては異例だ。そんな両親の元で、ひとり息子として大切に育てられた聖が情に厚いのもうなずける。
「ありがとう。だけど、オレは戻らない」
「ど、どうして?」
「ノアを残してはいけない」
 名前を出したとたん聖の表情が歪む。あの一件からだいぶ時間が経過したとはいえ、こいつの中でのノアのポジションに変化はないらしい。
「オレのせいなんだよ。オレなんかに関わったせいで、ノアはラボから追われる身になってしまった。オレがあいつを――」
「おまえ、なんかはき違えてないか?ノアがおまえを利用しようとしたのを忘れたわけじゃねえだろう?それに、あいつはただのアンドロイドだ」
「違う……ノアは……!」
 確かにあいつは人間じゃない。でも、オレにとってはただの機械(マシーン)でもない。
 とっさに否定するものの、考えがまとまらずうまく説明ができない。言葉に詰まるオレを見て、聖がそれみたことかと話をつなげる。
「夢を見るのも大概にしておけよ!あいつが今でもラボの手先じゃないって確証があるわけでもねえんだろうが。味方の振りをしておまえを監視し続けているだけかもしんねえ。いまだに政府から狙われているってーの、まさか忘れちゃいねえだろうな」
 話の内容にハッとした。ノアを卑下するこの言い方。まるで夢に出てきたレダそのものだ。
「心配なんだよ、おまえが。リオだってたぶん同じ意見だ。この薬をおまえに渡すのに、ノアを使わなかったっていうのがなによりの証拠だぜ」
「……どういう意味だ?」
「たぶん、ノアじゃダメだって判断したんじゃないかな。なにしろおまえは、あいつにアンドロイドだという正体を知らしめた張本人なんだし。だったら、恨みを抱いていないとも言いきれねえじゃん」
 恨みなどという穏やかでない単語のせいで、たちまちオレは思考停止に陥った。
「ノアとは別れた方がいい。『外』で一緒にいるのが、おまえにとって安全とは思えねえ」
 追い討ちをかける言いように混乱はますます大きくなる。
 考えたことがなかった。――いや、そうじゃない。顔を背けていただけだ。
 今の状況をノアが憂いているのは、なんとなくだが感じていた。それがどういう理由からなのかを、聖の指摘で思い知らされた気がする。
 生活が安定したことで、オレへの憤りを改めて自覚したのかもしれない。だとしたら、恨みを持つ相手と一緒に暮らすなど苦痛以外の何物でもないだろう。

 ノアは後悔している。レダではなくオレを選んでしまったことを。

 感情の過剰なブレは、体の方にもてきめんに影響を及ぼした。
「瀬那……?」
 震えが止まらない。コートを着ていないせいかもしれないが、ガチガチと歯までもが鳴りだす始末だ。
「おまえ、真っ青だぞ!いきなりどうしたよ!?」
 両腕を体に巻きつけなんとか震えを止めようとするが、そのくらいで収まるわけがない。食が進まず下降気味の体調が災いして、とうとう膝に力が入らなくなった。
 崩れ落ちそうになるさまを見かねた聖が、着ていた防塵コートを脱いでオレにかけてくれる。そのまま体を支えるように肩に手を回し、顔をのぞき込んで尋ねられた。
「住んでる家は、この近くなのかよ?」
「……いや。少し……歩く」
「ここら辺に知り合いとかは?」
「……発明家(インベンター)の家が……」
「発明家?誰だ、それ」
「……」
 限界だ。これ以上は口を開くこともできない。
「わかった!そのー発明家ってやつが知り合いなんだな?じゃあ、そこへ行こう」
 促され、ふらつく足でどうにか歩き始めた。聖のコートのおかげで体の震えは少し収まってきている。でも、これは寒さが原因じゃない。
 正体をばらしただけにとどまらない。聖は知らないだろうが、ノアにとってのオレはレダを殺めた相手でもあるのだ。
 レダの攻撃を受け瀕死の状態になったノア。その状況からあいつを救いだすには、「ゼウス」のコアを破壊するしかなかった。
 でも、ノアからレダを殺してくれなどとはひとことも言われていない。そうしたのは、自分の勝手な判断にすぎない。
 あいつは最愛の兄とレダを慕っていた。冷静になってみれば、赤の他人のオレが絡んだくらいでその考えが翻るとは思えない。

 ――信じない方がいいよ。あいつは今にきっと瀬那を裏切る。

 夢に出たレダの台詞が頭の中をリフレインする。
自責の念に押しつぶされそうになりながら、聖に連れられサイモンの家のドアを叩いた。


「どなた?鍵はかかっていないから入っておいで」
 ノックの音に、穏やかな口調で返事が戻る。声に誘われるかたちで、オレと聖は玄関を通り抜けリビングへと進んでいった。
 サイモンは義足の修理の最中だった。来訪者の気配に、精密ドライバーを持つ手が止まりゆっくり顔を上げてくる。
「おや?」
 いたのが思わぬ人物だったせいか、姿を認め見開かれた目がせばめられた。そして、一拍置いてから見当外れの答えを返された。
「ノアだったら、もう帰ったよ」
「いや……。俺たちは……」
 口のきけないオレに代わって応じた聖にサイモンの注意が向く。
「ん?……見慣れない顔だね。君は瀬那くんの知り合い?」
「聖と言います。瀬那とは……友だちです」
 「友だち」と聖から断言され、塞ぐ気持ちに光が差した。今でもそう言ってくれるこいつの優しさが素直に嬉しい。
「へえ、友だちね。瀬那くんは社交性に欠けるところがあるから、同年代の友人はノアひとりだけと思っていたよ。……で、どうしたの?」
「こいつ、ちょっと具合がよくないんです。それで、あなたが知り合いだと聞いたもんで、少し休ませてもらえないかなと思って」
 聖が事情を端的に説明する。考えを巡らすのも辛かったので正直助かる。
「ああ。そういえば、瀬那くんの不調について、ノアからも相談されていたんだったっけ。……君、うまく睡眠がとれていないそうじゃない?おまけに食欲も落ちているっていうし……。ノアがかなり心配していたよ」
 そういえば昨日の朝、チューブの件でサイモンを訪ねるという話をノアがしたのを思いだす。その言葉どおり、オレが家を出たあと、あいつはここへ立ち寄ったんだろう。
「どうにかできないかって相談されたけど、断ったよ。残念ながら、僕の専門は機械工学なんでね。生身の体は守備範囲じゃないんだ。薬学の知識もないし」
「薬学?そうだ、瀬那!」
 サイモンの話に突然なにかに思い当たった聖が、いきなりオレのズボンのポケットを探った。そこには、さっき手渡された包みが入っている。
「これ!これを飲めよ。確か、抗アレルギー作用があるって言ってた。飲めば少しでも楽になるんじゃねえの?」
 不調なのは体じゃない。原因は別だと告げたいがそれはできない。そんなことをしたら、それはなんだと追求されるに決まっている。質問がノアの件だけにとどまればいいが、夢のレダまで及ぶとマズい。知られたら、それこそ力ずくでドームに連れ戻されるだろう。それはオレの意思に反している。
「あ……っ!」
 包みを開けたと同時に、聖の手から薬瓶が滑り落ちた。焦って拾おうとして、再度つかみそこなったあいつは、じっと手を見つめながら眉をしかめ首を傾げる。
「どうしたんだい?」
 様子がおかしいと察したサイモンが、机の下に転がった瓶を拾い上げ聖に声をかけた。
「いや……さっきからちっとばかりうまく動いてくれなくって」
 言いながら、利き手でないはずの右手で瓶を受け取る。聖は、左腕がアーティフィシャル・パーツだ。そのため、力の強い左にどうしても頼りがちになる。
 聖の具合も気がかりだが、やっぱり体が辛い。なので、ここはおとなしく勧めに従った。

 蓋を開け、ひとつ深呼吸してから覚悟を決めてマスクを外す。いつもどおり胸が詰まる感じに眉をしかめた。
「へ、平気か?」
 オレの表情の変化に驚き声で問われた。「外」の空気の異常さは、ネオ・ヒューマンの聖には察知できていないと思う。
「水を……」
 要求すると、すかさずサイモンが蒸留水のボトルをくれた。飲み下すまでのわずかな間、場が重苦しい空気に包まれる。
 薬が収まるのを見極め、マスクを元に戻し、目的を遂げた安堵感から大きくひとつ息をつく。目の前には、不安そうな聖と興味深げなサイモンの顔。注目を一身に集めながらしばらく様子をうかがった。
 自分は暗示にかかりやすいタイプではないので、リオのくれた薬は少なくとも偽薬(プラシーボ)の類ではないだろう。薬のおかげかどうかは定かじゃないが、次第に息苦しさが薄らいでいく気がする。
「……どうだ?」
「うん……。なんだかちょっと楽になった感じだ」
 正直に感想を述べると、聖がホッとした表情を浮かべた。
「そっかー、よかった。さすがリオだぜ」
「え?リオだって?」
 唐突に反応を示したサイモンに、ふたり一緒に注意が向いた。
「……あんた、リオを知ってるのか?」
 聖の疑問も当然だ。オレだって彼らの接点など思いつけない。
「いや……でも、まったくの他人かもしれないし。……そうだよな、そうだ。ドームには一万人もの人がいるんだから」
「知り合いに……同じ名の人がいるんですか?」
 思わずオレも口を挟む。
「知り合い?……いや、その……」
 いかにも言いづらそうな様子に、さすがにこれ以上の質問は憚られた。それができるほどサイモンと親しいわけじゃない。プライバシーを共有している相手は、オレにはノアだけだ。――でも、今となってはそれも怪しい。ここ最近は、ノアの行動や考えに理解できない部分が増えてきている。
「それより、君の左腕はギミック?さっきうまく動かないって言っていたけど」
 気まずくなってしまった空気をどうしようと考えていると、いきなりサイモンから話題を変えられた。
「あ?……ああ。風が強かったから、砂でも入ったのかな?」
 応じる聖が、不調を思いだしたように左の手首の辺りをさすっている。
「どれ、見せて?」
 先ほど本人から機械の専門家だという話を聞いていたからなのか、素直に左腕を預けている。ジョイント部分を中心に探っていたサイモンだったが、ほどなく原因を特定できたらしい。生身のオレの体を診るのとはさすがにわけが違う。
「砂でベアリングの一部が傷ついたんだね。今日の砂嵐は特にひどいし、君の服装も『外』を歩き回るにはちょっとふさわしくないしね」
 あ……コート。
 そういえば聖の防塵コートを借りっぱなしだ。返そうと脱ぎかけてふと気づく。コートは、襟元や袖口から砂が入らないよう配慮されたデザインになっている。
 じゃあ、オレがこれを横取りしたせいで、聖は……。
「帰ったら中央病院へ直行かー」
「いや。このくらいなら、僕が直してあげるよ」
 ため息をつく聖の顔が、サイモンの申し出を聞いてパッと明るくなる。年に一度のメディカルチェック以外での治療は、すべて個人負担が原則だ。自分の都合で「外」に出かけて、挙句、余計な出費を親にさせるのでは聖も肩身が狭いだろう。それがなくなるのだから、こいつのこの反応も当然だ。
「そんじゃ、遠慮なくお願いしようかな」
 オレがコートを着てくればよかっただけだ。なのに、それをまったく責めない聖の気づかいが胸に痛い。
 返事を聞いたサイモンは、工具を取りだし手早く作業にかかり始める。一応の礼儀から、不自然にならない感じで目を逸らした。聖だって、手が分解されるさまをオレに見ていてほしくはないだろう。
「へえ……上手だね、あんた。中央病院の先生より腕が確かかもしれない」
 俯くオレの耳に、手際のよさに感嘆する聖の声が聞こえる。サイモンの技術が優れているのはノアからもさんざん聞かされていた。自分が直接関係しないのであまり興味がなかったが、聖まで褒めるところをみると、その手腕はかなりのものみたいだ。
「これでよし…っと。今度はたぶんスムーズに動くと思うよ」
 作業が終わったと知り顔を上げた先で、聖が状態を確認するようにグルグルと手首を回している。
「うん、ばっちりだ。普段より調子がいいくらいだぜ」
「それはよかった。傷ついたベアリングを交換しておいたから、同じ目に会わないためにも、帰る時にはこの手袋をつけていくといい」
 言いながら厚手の手袋を聖に差しだす。受け取ろうと手を伸ばしたタイミングを見計らったように、唐突にサイモンが先ほどの質問に対する答えを告げてきた。
「……弟…なんだ」
「え?」
 聖の動きが止まった。
「生き別れの弟がドームにいる。同じリオという名前のね」
 「外」で生きる人びとは誰もがみんな事情を抱える。政府への反感からドームを出たとひとことですませるほど単純じゃない。家族と絶縁してきた者がほとんどだ。
 でも、こんな近くに友だちの肉親がいるなど偶然にしても出来すぎだ。だから、同じ名前の他人なんだろうとオレは真剣に受け取らなかった。
 だが、聖は考えが違ったようだ。あいつは、手袋をひったくると、躊躇いもなく真っ向から決めつけの言葉をサイモンに投げた。
「あんたがリオの兄貴!?でも、兄弟っていうには、ちっとばかり年が違いすぎるような気がすんだけど。リオは十六だぜ。あんたは……三十より上に見える…んだが」
 年齢差というのが決め手になったのか、いったんは否定していたサイモンも聖の話に逆に食いつく。
「リオを知っているのか?」
「知ってるもなにも……!あいつは、あんたを今でも捜しているんだぜ!なんで連絡のひとつも入れてやんないんだよ!」
 サイモンの言う弟とは本当にあのリオなのか?
 半信半疑のオレをよそに、聖は信じて疑わない様子だ。
「リオとは……異母兄弟なんだよ。あいつが八つの時に別れたから、君の言うとおり今は十六だ。以前のままの場所に住んでいるなら、サンクチュアリ・スクールの高等科か、もしくは、かなり優秀だったから、すでにラボにいるかもしれない」
 出てきた事柄は完全にリオと合致している。しかも、サンクチュアリ・スクールの同学年にリオという名は彼ひとりだけだ。
「ああ、なるほどね。優秀な兄貴の弟なら、腹違いでも優秀ってことか」
「弟の頭の出来は僕とは関係ないよ。とてもじゃないけど肩を並べられない」
「へえ?学校ではそこまでって感じじゃないぜ。……じゃあ、あいつ、もしかして実力の出し惜しみしてんの?なのに、あの才能なわけ?……まいるぜ」
 ここまで事実が出そろって、ようやくオレも聖の主張を受け入れた。
「……リオは元気でいるのか?」
「もちろん。そんでもって、俺も瀬那も、あいつにはいろいろと世話になっている」
「そうか、それはよかった。僕とは違い、リオのやつはちゃんと社会性が身についているみたいだな」
 自分を低く評価する言い方をするが、サイモンだってそれなりに面倒見がいい。だが、確かに科学者特有の近寄りがたさもある。オレもノアも、チューブの件がなければ話もしていないかもしれない。
 けれども、今の彼は完全に素の状態だ。科学者めいた空気はどこにも感じられない。俯き加減の眼差しが遠くを見ているようだ。ここにいない弟の成長した姿を思い描いているふうにも思える。
 やがて、なにかを決めたらしいサイモンが聖に声をかけた。
「君は、このあとドームに戻るんだろう?だったら頼みがある」
「無事だと知らせておきたいなら、もちろんちゃんと伝えるぜ」
「違う、逆だ。申し訳ないが、僕に会ったことはリオには黙っていてくれないか?」
「え?なんで?」
 驚きはオレも同じだ。でも、サイモンにはそれ相応の理由があるらしい。
「僕のことなど忘れた方がリオのためになる。もうそろそろ、お互い自由になるべきだ」
「……それって、どういう意味ですか?」
 我慢できずオレからもサイモンに尋ね返す。残した肉親を尊重しているようでいて、どこか突き放した言い方が妙に気になる。
「言葉どおりだよ、瀬那くん。ドームにいた頃、僕たち兄弟は常に周囲から比較し続けられていた。僕にとってのコンプレックスの源は弟だったんだ。それをたぶん、リオはわかっていない。だからといって知る必要もない。忘れるためには、距離を置くのが一番望ましい。離れていれば、余計な雑音に悩む必要もなくなるしね」
「でも、それじゃ、リオの気持ちは?」
 反論したのは聖だ。あいつはおそらく、リオ本人からサイモンの話を聞かされていたのだろう。だから、この発言に反感を覚えているのかもしれない。
「リオだって時が満ちれば僕のことなど忘れる。そうやって吹っきってもらえればいい。つまりはね、過去の亡霊なんかに惑わされていたんじゃ、いつまで経っても前に進めないってことだよ。そんなもの、まぼろしを追い求めるみたいなものさ」
 サイモンの言葉が鋭く心に切り込んでくる。それはまさしく、今のオレの置かれた状況そのものだ。

 レダの事件を正当化する自分。本当の自由を探し続ける自分。人との確かなつながりを求める自分。
 ドームを出て半年間、そんな理想をずっと追い求めている。もはやそれらは、幻影と言い換えてもいいくらいだ。そして、実現のために多くの人たちを巻き添えにした。目の前のサイモンから、いいかげん現実を知れと諭されたように思えた。

「お願いだ。リオには秘密にしておいてくれ」
 有無を言わさない真摯な口調に、さすがの聖も否と応じられない。少し躊躇っていたが、やがて条件付きの譲歩をサイモンに示した。
「なんでもいい。リオに、あんたが生きているってサインだけは送ってやってくれよ。無事さえわかれば、頭のいいあいつのことだ、それ以上は追求してこねえだろう。リオのやつ、普段は無感情を貫いているくせに、あんたの話が出た時だけ気持ちの揺れが手に取るようにわかったんだ。瀬那を過剰に心配するのも、きっとあんたのことがあったせいだよ。黙って見てらんねえんだろうな」
 サイモンと聖のやり取りを聞いていて、改めて自分の勝手さを思い知る。そして、その考えは、ドームに置いてきてしまった家族にも及んだ。
 ――特に妹のミチル。オレの失踪で、ミチルに不都合が生じてはいないだろうか?学校での立場が悪くなっているとか、あるいは政府から両親へ責任の追及があって、暮らしに支障を来たしているとか……。
 考え始めたとたん、ものすごい勢いで不安が膨張しだした。
 だからといって、家族を捨てた自分がどうできるわけもない。どうしようと、どう足掻こうと、過去は覆らない。すべてを解消するために取れる方法はひとつだけ。罪を認めラボに出向くことだけだ。
 だがそれは同時に敗北を意味する。今のオレには、とても受け入れられそうもない。
「わかった。方法はなんとか考えるよ。……ところで瀬那くん、気分はどうだい?」
「あ……ああ、すみません。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「ノアが家で待っているんじゃないかな。彼も相当心配しているようだし、早く帰って顔を見せてあげなさいよ」
 ノアの話題に、聖は再び黙ってしまった。無表情を保っているが、反応がなにもないというのが返って胸の内を表している。オレがこのまま家に戻るなら、聖はドームへ帰るつもりなんだろう。
「聖……」
「送ってかないけど、大丈夫だよな?」
「聖……オレは――」
「ごめんな、瀬那。俺、無神経なことを言っちまった。ノアが自分の正体を知ったのは、なにもおまえだけのせいじゃないよな。決め付けるような言い方をして、本当に悪かった」
 言葉を遮られ、先ほどの発言の不用意さを詫びられた。わかっていないようでいても聖は勘がいい。昔から、こいつの前では秘密は秘密にならない。
「今日はこのまま帰る。あいつとは顔を合わせない方がいいだろう。向こうだって、今さら俺なんかに用はないと思うぜ」
 胸が痛い。心細さが頼れる誰かを必死に求めている。そして、それは今まさに目の前の聖に向いていた。
「そんな顔すんなよ!絶対、また会いにくるからさ!」
 明るく断言され、それでも気持ちは浮上してくれない。だけど、ここで聖を引き止めるのはお門違いだ。先にあいつを切り捨てたのはオレの方だ。半年前、同じ行為を聖にしている。

 悪寒が治まったのが頃合とサイモンの家を出た。ここから先は、お互い別々の道を行くことになる。
「じゃあな。ちゃんと薬を飲んどけよ。そういえばリオも言ってたぜ。人の体は環境に慣れていくもんだって。だからあまり神経質になるなってさ」
 別れの挨拶もまともにできない。すがりたい気持ちをどうにかこらえ、立ち止まったまま遠ざかる幼なじみの見慣れた背中をただ見つめた。
 ――コート、返しそこなってしまったな。それに、お礼も言いそびれた。
 また会いにくるという約束だけが心の支えだ。聖の言葉を信じ、ノアの待つ家へ重い足取りで歩き始めた。



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