■ 5th. Movement ― 追跡
俺は年のわりに体格がいい。態度もでかいし物怖じしないから、実年齢より上に見られるのはいつものことだ。今みたいに私服姿だと余計そうだろう。俺がスクールの高等科の生徒とは、たぶん誰も思っていない。
だから周囲に対する注意が疎かになっていた。このタイミングで知り合いに会うとは、予想もしていなかった。
「聖(ひじり)くん?」
呼びかけなど無視すればいいものを、後ろめたいことをしている引け目から、思わず足が止まる。でも、ここで行動を見咎められるのはマズい。それでなくても時間がないのだ。
足には自信がある。このまま逃げちまおうか、などと卑怯な手を考えていると、もう一度名前を呼ばれた。
「やっぱり聖くんだ」
声の主は歩道の植え込みの向こう側にいた。姿を見てびっくりした。アーティフィシャル・パーツの不調から中央病院に再入院しているはずの瀬那(せな)の妹だ。
「どうしてここにいるの?学校は?」
同じ質問を俺もしたい。そっちこそ、どうしてここにいるんだ?
「いつの間に退院したんだよ?」
無視もできたが、どういうわけか俺はこの子に弱い。両親から瀬那への精神的虐待の原因となった人物だというのに、なぜか憎めなかった。瀬那そっくりの顔立ちのせいもあるが、なにより兄を慕う優しい心の持ち主だからだ。「ゼウス」事件が起こった頃、瀬那と両親との板挟みでかなり悩んでいたとも聞いている。
「退院は……本当は来週だったの。でも――」
「まさか……勝手に抜けだしてきたんじゃねえよな?」
「ううん、それはない。お医者さんに無理を言って早めてはもらったけど」
先を急いでいる俺は、会話をしていても集中できず落ち着かない。その様子を聡く察した彼女は、立ち止まっているのをやめて俺を促し歩きだしてくれる。
「で、どこへ行くとこだったんだ?体の方はもういいのか?」
問いかけるが今度は返事がない。どうしたのかと思いのぞき込むと、なにやら深刻そうな顔をしている。
「ミチルちゃん?」
名前を呼んだとたん歩みが止まった。そしてそのまま、思い詰めた目を俺に向けてくる。
「聖くんは、お兄ちゃんがどこにいるのか知っている?」
「……」
質問には答えられない。どう答えていいのかわからない。
「知らないの?気にならないの?あんなに仲良しだったのに、男同士の友情ってその程度のものなの?それとも、お兄ちゃんとは幼なじみだから一緒にいただけ?本当は……そんなに好きじゃなかったとか」
「そ、そんなことはねえぞっ!」
力いっぱい否定してしまった。語気の強さに目を見張った彼女だが、一拍遅れで表情を和らげ、クスクスと小さく笑いだした。
やがてその笑いは涙へ変わる。
「ごめんなさい……。聖くんの気持ちがわかって嬉しかったんだけど……でも、やっぱりどうしても寂しくて」
寂しいのは、瀬那を失ったからだ。
「お兄ちゃんがいなくなったのは、私のせいかもしれない。私がお兄ちゃんを拒んだから――」
「それは……違うと思うぜ」
たまらず言葉を遮った。
「瀬那はミチルちゃんを大事にしていた。拒まれたからといって、それだけの理由で君を捨てたりはしない。拒むことで君が楽になるなら、瀬那は喜んで受け入れるだろう。あいつは、そういうやつだ」
断言すると、泣き顔がくしゃくしゃに崩れた。
「あいつがいなくなる前に、ふたりの間でなにかあったのか?」
「せっかく…お見舞いに来てくれたのに……お母さんたちに内緒なら……迷惑だから来なくていいって……そう言っちゃった」
涙で途切れがちになりながらも、必死に事情を説明してくれる。彼女はまだ十二だ。感情をコントロールできなくても責められない。
「でもね……本当は、会いにきてくれて嬉しかったんだ。……だけど…それが原因で、お母さんたちとけんかになっちゃうのが……嫌で」
不幸なのは瀬那だけじゃないのかもしれない。GCというだけで、あいつの家族は全員苦しんでいる。
そう、たかがGCだ。同じ人間なのに――。
その時、尻ポケットで携帯のアラームが鳴った。ノアとの待ち合わせ時間にセットしておいたやつだ。
いけねえ。急がねえと!
泣いている瀬那の妹をひとり残すのは心配だが、そう言ってもいられない。この遅れが致命傷になり瀬那を失ったら本末転倒だ。彼女のためにも、ノアを迎えに行かなくては。
「ごめん!俺、これからちょっと人と待ち合わせてるんだ」
「誰?……まさか、お兄ちゃん?」
「いや……」
「お兄ちゃんじゃないの?お兄ちゃんなんでしょう?内緒で会っていたから、だからずっと平気な顔をしていたんじゃ――」
「違うよ。違う!」
「じゃあ、誰?」
一方的に、俺が瀬那と会うと信じ込んでいる。
どうしよう?このままじゃ、はっきり言わないと離してもらえないかもしれない。
仕方がない、ぶっちぎるか。ごめん、ミチルちゃん。
心の中で謝り、走り去ろうとしたとたん、右手を両腕でがっちりと抱え込まれる。しがみつかれ、さすがにこの状態で振りきるわけにもいかない。
「私も連れてって!」
「ええ!?」
「相手が誰か確認できたら帰るから。だから、一緒に行く!」
きっと藁をもつかみたい思いでいっぱいなんだろう。こうまでされてようやく、彼女が学校へも行かずなにをしていたのかが理解できた。退院を早めてできた時間を使い、瀬那の行方を捜しているに違いない。
理解が深まったせいで申し出を拒否できなくなった。それに、今はこんなふうに揉めている場合じゃないのだ。
「……わかった」
了承を告げると、彼女は力を緩め顔を上げてきた。そして、すぐに真剣な面持ちになりうなずく。涙はもう流していない。
「少し急ぐけど、平気か?」
「うん!」
前向きな瞳に、かつての瀬那がダブった。GCとしてラボに身体データを読み取られていても、不満を内にじっと耐えていたあいつ。悩ましげな顔つきばかりの中で、時折見せた明るい表情を思いだす。あの顔を見るのが好きだった。だから、瀬那の前では、変に深刻にならずに軽口ばかりを叩いていた。
そんな瀬那を取り戻したい。そのためにも、なんとしてでもあいつを見つけだしてみせる。
「行こう」
俺をつかむ腕を解いた瀬那の妹が、改めて右手をつないでくる。小さなその手を力強く握り返し、ともにドームのゲートへ向かった。
砂嵐は、「外」の世界ではスタンダードな天気だ。吹き荒れない日はほとんどない。さすがに一日中という感じではないが、聖との待ち合わせにと選んだ時間は、ちょうど午前のピークに当たっていた。
今日は特に視界が悪い。こんな状態で、はたして聖はぼくを見つけられるだろうか?
約束の時間から二十分が経過した。同じサンクチュアリ・スクールに通っていたので、聖が遅刻の常習犯なのは知っている。とはいえ、目的は学校じゃないのだ。なにより今回は瀬那が絡んでいる。
少し不安を覚えながらも注意深く周囲をうかがう。その時、遠くに人影を認めた。
あれがそうか?
ドームのゲートの方角から、誰かがゆっくり向かってくる。砂塵が吹き荒れる中を用もないのに出歩く者はいない。このくらいの時間なら、コミュニティの人びとは、プラント農園のビニールハウスの中かデスクワークで建物にいることが多い。そういった理由もあり、ぼくは人影を聖と信じてしまった。
だけど……。
「おはよう、ノア先生」
え?涼生(りく)?
「こんな時間にお散歩ですかー?先生も物好きね…って、人のことは言えないか。あはは」
なぜ彼女がここに?
自分の行動を目撃された焦りから反応が返せない。
「もしかして、ナイショの待ち合わせ?先生も隅に置けないなあ。コイビトとの逢引だったりしてね」
ぼくの目的を見抜いているかのように辛辣な冗談を口にする。よりにもよって、相手が涼生とは最悪だ
「なーんてね。瀬那命の先生に限ってそんなわけないわよね。……ねえ、どこへ行こうとしていたのよ?」
「……どこだっていいだろう」
ひとことだけ返せたものの、これじゃ言い逃れにもならない。
「なによ、冷たいのねー。せっかくデートのお誘いを、と思っているのに」
言いながら間合いを詰めてくる。必要以上に近づかれ、嫌悪感から手が出そうになった。
「君こそ、今の時間は学校じゃないのか?」
「いいのよ、私は。あーんな低俗な学校で、教わることなんてなにもないわよ」
今日の涼生は態度を繕う気もないようだ。ぼくがどう反応するかを試しているんだろう。だけど、そんな茶番に付き合う暇などない。
聖が気になり歩きだそうとしたら、足止めするつもりか今度は前方に回り込まれた。
「待ち人が来てもムダよ」
「……どうして君がそう言える?」
「政府がそんなに親切だと思ってるの?」
「どういう意味だよ?」
問い返すと笑いが本物になった。人をバカにする時の笑い方だ。
「先生と瀬那は犯罪者なのよ。ただ単に政府への反発からドームを出た人間とはわけが違うわ。知っているわよ。ドームから迎えが来るんでしょう?で、その人の手引きでドームへ入ろうとしている。でもダメ。誰が一緒でも先生は入れない。間違いなくブラックリストに載っているもん。そればかりか、犯罪者本人と判明した時点で即刻逮捕されるわよ」
「!!」
ショックで言葉が出ない。
ブラックリスト。――しまった。まったく頭になかった。
確かに、ぼくと瀬那は政府やラボから追われる身だ。でも、事件の性質から、追跡はあくまで極秘裏に行われているのだと思っていた。
ここまで彼らが躍起だったとは予想外だ。見落としは、そこまで考えが至らなかったぼくの完全なミスだ。
思えば、校長からGC狩りの話を聞いた時に気づくべきだったのだ。政府がそんな大胆な行為に走ったのも、事件の極秘扱いが解除されたからだと。
涼生の見解は正しい。瀬那がドームに入れたのはレダが体制側の人間だからだ。同じことを聖がしようとしても無理だろう。瀬那を奪われた焦りから判断を誤った。リオが気づけなかったのは、彼がGC狩りのことを知らないせいだ。
涼生に対する恐れがこの時はっきりと本物になった。彼女の情報は誰よりも詳しく正しい。
「涼生……君は……」
「ねえ。だからデートしよう?」
「断る」
「私の力で、ドームに入れてあげるって言っても?」
「え……?」
「瀬那を取り戻したいんじゃないの?だって、彼は今ドームにいるんだもんねえ」
さらなる事実を告げられても、もうぼくは動揺しなかった。ここまで来たら、どこまで知っているかなど確認するだけムダだ。
「さあ、どうする?先生。グズグズしていると、永遠に瀬那を失うことになるわよ」
返事ができずに俯く視線の先に腕時計が見える。約束をすでに三十分以上回っている。聖の姿はいまだに確認できない。
「早く決めて!悠長にしていられないんでしょう?」
せっつかれたことで気持ちが決まった。確かに迷っている時間も惜しい。
「ぼくをだましているんじゃないだろうね」
「疑り深いわねえ。先生が私を嫌いなのは知っているけど、私は好き。瀬那なんかに渡したくないくらい」
なんてやつだ。このタイミングで言うべきウソじゃないだろう。神経を疑う。
「だから困っている先生を助けてあげたかったの。放っておけなかったのよ」
もういい。戯言と聞き流そう。
あきらめたぼくは、涼生の腕をつかみ、ドームのゲートへと引っ張り始める。
「あら、積極的!ふふふ。そーんなに瀬那が大事なんだ」
言い終え乱暴に腕を振り解くと、今度は逆にぼくの手を力いっぱい握ってくる。大またで前を行きながら、振り向きもせずに言いつなげた。
「瀬那を取り戻すのも手伝ってあげる。だって、あのGCは私にとっても宝なんだもん。……ラボになど渡してなるものですか」
呟きの大半は風に紛れて聞き取れなかった。だけど問い返すほどの余裕もない。
ドームのゲートで簡単なチェックを受ける。国民ナンバーを持たないはずの涼生なのに、そしてぼくという犯罪者が一緒なのに、誰にも咎められないのが不思議だった。
だが、入場できさえすればそれでいい。目的がかなった時点で涼生と別れれば問題ない。
ほどなく許可が下りゲートが開かれる。入れ違いに「外」に出る人たちの中に聖の姿はなかった。なにかのトラブルならリオから連絡が来てもよさそうなのに、と頭の隅で思いながらもう一度時計を確認する。
約束から、すでに一時間が経過していた。
「え?許可が下りねえ?ど、どうしてですか!?」
出場カウンターで国民ナンバーを入力し、審査を待っていた俺たちに不許可の知らせが届く。納得のいかない俺は、当然係員に食ってかかった。
「問題なんてないはずですよ。もう一度確認してください!」
詰め寄ると無情な台詞が返った。
「確かに君はね。でも、同伴者がいるでしょう?」
「同伴者?」
規則では、身元確認は申請した本人に限られる。それ以外は、政府の責任の範疇じゃないという判断だ。不穏分子誕生抑制の暗示がきいているからこそできる方法だろう。
だからこの段階で、まさかそこに話がいくとは思わなかった。
「いつから同伴者の審査までするようになったんですか?」
「いや。普通はやらないよ」
「じゃ、じゃあ、どうして?」
「ブラックリスト」
言いながら、一冊の書類を掲げられた。
「コレにね、載っているんだ。君の同伴者が」
返事ができない。それって、いったい……。
「指名手配者の係累はドームから出るのを許されない」
指名手配者?誰のことだ。
「半年前の事件は公にはなってないから、一般人の君が知らなくても仕方ないか。特別に教えてあげるよ。実はね、『ゼウス』が一時的に機能停止に陥ったことがあったんだよ」
それは知っている。なぜなら俺も関係者みたいなものだ。
口を挟まずおとなしく聞いていると、秘密めいた態度で続きを告げられた。
「なんでも原因は機械のトラブルじゃなく、人為的なものだったらしい。その犯人と目される人間が、君の同伴者の身内なんだ」
瀬那か。
あいつがラボと政府から狙われ続けているとは知っていた。でも、まさかこんなふうに表立って追われているなんて考えもしなかった。
きっとリオも俺と同じだ。「ゼウス」の事件は、政府内でも極秘扱いだと思っているはず。
「まあ…ね。裏で政府がGC狩りをしているみたいだが、おそらくあれも、目的は犯人捜しだろうし」
「しゅ、主任!」
「おっと、いかん。少ししゃべりすぎた」
隣にいた別の男に制され、やり取りはそこまでで終わってしまう。
「とにかく!同伴者が一緒なら通行は許可できない。置いていくかあきらめるか、どちらかにするんだな」
踵を返され、取り付く島もない。
瀬那の妹というだけでドームの出場を断られた。この様子じゃ、事件の当事者のノアを連れての入場など、きっとできっこない。このまま迎えに行ったところで、無駄足に終わる可能性は高い。
これはリオと相談だな。計画の立て直しだ。
約束より大幅に遅れてしまったのも、ひとりで「外」へ出るのをやめた理由だ。
それより、今の話のせいで先に調べなくちゃいけないことができた。政府のGC狩りっていうやつ。それが本当なのか、そしてどういう意味を持つのかを早急に知る必要がある。
「どうだった?」
審査室前の廊下で待っていた瀬那の妹に声をかけられるが、的確な返事ができない。次に自分が取り組むべき問題で、頭がいっぱいになってしまっている。
「聖くん?」
「……ごめん。今日は出られねえみたいなんだ」
「……そう」
沈んだ声を聞いて、ようやく俺も現実に目が向くようになる。
瀬那が指名手配されていることは、絶対に知られてはいけない。
「でも……たとえ行方がつかめていなくても、お兄ちゃんはこのドームにいるのよね。今はそれがわかっただけで十分」
審査を待つ間、瀬那の安否を重ねて問われた俺は、追及の熱心さに観念し事実を彼女に教えてしまった。そして、俺がこれから「外」に出る理由もだ。
――瀬那の行き先を知る人間と待ち合わせている。
そう告げた時の期待に満ちた目が忘れられない。きっと、俺以上にその人間――ノアに会いたかったに違いない。
「ごめんなさい!」
いきなり叫んだと同時に、膝に額がつくくらいの勢いで深々と頭を下げられた。
「たぶん、私のせいね。私がついて行くって言い張らなければすんなりと出られたのに……。本当にごめんなさい!」
「ミチルちゃんのせいじゃねえよ」
とにかくここにいても仕方がないからと諭しゲートから離れた。そして、周囲に役人がいなくなったのを確かめ携帯でリオにメールを入れる。
――会えなかった。作戦変更の必要あり。
きっとこれだけで通じるはずだ。このままリオからの連絡を待てばいい。
「聖くんは、これからどうするの?」
横を歩く瀬那の妹にふいに問いかけられる。
「約束の相手となんとか連絡を取ってみる。で、ちゃんとそいつをドームに連れてくるさ」
「そう。……でも、ムチャしないでね」
「え?」
「お兄ちゃんを捜すのは聖くんにとって重要かもしれないけど、そのために危ない真似はしないで。ケガでもしたら、お兄ちゃんもきっと喜ばないよ」
いきなり気づかいを見せられ本気で驚いた。とても十二歳の女の子の発言じゃない。
出来すぎた子だ。兄貴と同じで心がきれいなんだな。
「心配すんなよ。ちゃんと瀬那は見つけてやるからさ」
「……うん」
今にも泣きそうな顔をしている。本当に瀬那が好きなんだと改めて納得させられた。この子のためにも、俺は絶対にあいつを捜しだす。
帰り道の途上に瀬那の家はある。門の前まできっちりと送り届け、もう一度携帯を見るがメールの返信は入っていない。
どうしたんだ?リオのやつ。なんで連絡をくれねえんだよ?
昼を少し回ったばかりだというのに家に戻るわけにもいかない。仕方なく俺は、今朝いた公園へ向かってノロノロと歩き始めた。