よりにもよって、ここはないんじゃねえの……。なんかさ……ひでえよなあ。
立ち止まり、目の前の建物を仰ぎ見てため息が出た。低層の木造建築がほとんどのドームだが、ここは違う。一般人の出入りが自由で、コンクリート造りの、いわゆるビルの体裁をとっているのは、中央病院とサンクチュアリ・スクールだけだ。
二時間かかってリオからの依頼はふたつともこなした。ゲートで得た情報はリオの予想どおりだった。涼生は同年代の少年とともにドームへ入っている。「外」生まれだというのに、ちゃんと国民ナンバーを持っているのは驚きだが、同時にそれは、涼生のバックに政府が絡んでいる動かぬ証拠だ。
ならば、ノアの居所もリオの予想どおりだろう。天才の友人を持つと本当に助かる。
そして俺は今、サンクチュアリ・スクールの校門前にいた。もうひとつの依頼――瀬那の携帯の発信源がこの場所なのだという。
マジかよ。
通信会社からの返答を聞き絶句してしまった。だって、ここは学校だ。ラボみたいな特殊研究機関とは、一番かけ離れた場所なのに。
「よう、聖!あれ?おまえ今日、教室にいたか?」
正面玄関のところで、下校中のクラスメイトにバッタリ会う。
「なに言ってんだ。いたに決まってんだろう」
「そうかー?なんだか珍しく存在感が薄かったじゃん」
「そういう日もあんだよ」
「ふーん」
級友に対する認識なんてこんなもんだ。誰も欠席者の有無など気にしていない。たぶん、瀬那やノアが突然いなくなったのだって、しばらくはわかっていなかっただろう。よく考えれば普通じゃない。
さて……と。この学校のどこに隠し部屋なんてーものがあんのかな?
拉致など、公にできない行為だ。おまけに監禁にはそれなりのお膳立てがいる。厳重に戸締りができて、監視の目が行き届くようなところ。
……ああ、なるほどな。だったらあそこしかねえじゃん。
条件に当てはまる場所を思いつき、迷わずそこへ直行した。途中、顔見知りが何人かいたが、さっきのやつのように声はかけてこない。そこまで親しくないからだ。
ほどなく俺は、目的の部屋の前に立った。
――音楽ホール。
防音はきいているし、記録のためのカメラも設置されている。昔は情緒教育だとかで頻繁に使用したが、俺が中等科に上がる頃には、音楽、美術方面の授業は全部なくなった。そんなものに時間を割くくらいなら、公式のひとつでも覚えろということだ。合理主義の犠牲になったといってもいい。
なので、その時からここには人の出入りがない。生徒が勝手に入れないように、IDが必要な電子錠までかけられている。
どうにかしてコレを開けられねえかな?瀬那が学校の中にいんのは確かなんだから、怪しいと思えるところは片っ端から調べる。今の自分には、それっきゃねえじゃん。
ドアの真下にあるキーボードと認識パネルに目をやる。ダメもとでいじってみようと左手をかけたとたん、カチッというかすかな音がした。
あれ?……もしかしたら……。
そんな都合のいいことなどあるわけがない。錯覚と自分を戒めるが、確かめたいという気持ちの方が勝った。
半信半疑で、防音扉特有のがっちりしたドアノブを押し下げると、拍子抜けするほどスムーズに動いた。
ロックは解除されていた。けど、なにがどうしてなんだか、俺にはサッパリわからない。
えーい!理屈なんて後回しだ。結果オーライ!先へ進め。
たとえ罠でも構わない。俺はあいつに約束したんだ。
――そんな顔すんなよ!絶対、また会いにくるからさ!
男に二言はねえ!俺は、自分の言葉にちゃんと責任を持つ!
己に気合い入れをし、覚悟を決めホールに足を踏み入れた。
ビンゴ!大当たりだ。表向きには誰も使っていないはずなのに、奥の方から灯りがもれている。中等科の頃の記憶に間違いなければ、あの辺りは調整室だ。で、隣が録音スタジオ。二重の防音がされているあそこが、どう考えても一番怪しい。
幸い、じゃま者は現れなかった。見張りは、どうやら調整室に陣取る男ひとりだけみたいだ。
わざわざレダ本人がさらったにしては無用心だな。それとも、今さら瀬那を気にかけるやつなどいないとでも思っているのか?だとすると、取り戻しに誰かが来るなんて、想像もしていねえんだろうな。
いや待てよ。ほかになにか狙いでも……?だけど、見張りを手薄にしてまで総出でしなくちゃなんないほどのことって、なんだよ?
用心深く身を潜めながら、そこまで考えを巡らせていて、ふいにある可能性が頭に浮かぶ。
そうか。やつらの目的のためには、瀬那だけじゃ不十分だったんだ。じゃあ、次に狙っているのはノア?――瀬那の言うとおりじゃん。政府だけじゃなくラボもノアを標的にしている。監視が緩いのには、やっぱりそれなりの理由があったんだ。
おそらくラボは、ノアが政府に捕らえられているのを知らない。だから、人員を割いて闇雲に探し回っているんだろう。知っていれば、政府と取引するだけで事足りるはずだ。
チャンスは今しかない。
手探りでポケットから携帯を取りだす。見張りの注意を逸らそうと、もう一度瀬那の番号をコールした。
ピピピピピ!
瀬那の携帯は生きていた。コール音が、監視役の男のいる調整室から聞こえてくる。
「なんだ?」
音に反応し、男が携帯に目をやった。
「ふん。かけてきているのは、やっぱりあの時と同じやつか。レダ様の予想どおり、ねずみの方から罠にかかってくれたようだな。……どれ。あのGCに応対させて誘いだすか。多くを知りすぎた人間は始末するに限る。なに、中央病院でちっとばかり頭をいじれば、あんなGCのことなど記憶から消え失せるさ」
勝手なことを抜かすな!
あまりの言いように憤慨を抱くが、運は俺に味方した。鳴り響く携帯を手にした男が、持っていた鍵でスタジオのドアを開けると、隙間から中の様子がうかがい見れた。
瀬那!!
求める人間はそこにいた。後ろ手で縛られ床に転がされていたが、意識ははっきりしているようで、目はちゃんと開いている。眼差しにも力がある。
男は丸腰だ。体格は自分とほぼ同等。この時ほど大柄なのを嬉しく思ったことはない。
いける!
相手が瀬那の前に片膝をついたため、態勢が一瞬無防備になる。それをチャンスと判断し、後先考えずに全速力で突進した。そのままの勢いで男に飛びつくと、肘がきれいに相手の顔に命中した。
「ぐわっ!」
ひとことうめいて男の体がのけぞる。そのまま床に大の字に倒れた。
「聖!?」
「大丈夫か?瀬那!」
「ああ」
ほかの人間の姿が見えないとはいえ長居は無用だ。縄を解きながら素早く瀬那の体を確認し、とにかく逃げようと促した。
「詳しいことは、リオと合流してからにしよう。行くぞ!」
立ち上がり改めて瀬那の顔を見ると、どうしてだか大きく目を見開いている。すぐに、背後から危険が迫っているのだとわかるがもう遅い。
「貴様っ!」
しまった!まさか、もうひとり見張りがいたとは!
あっという間に背後から首を締め上げられ、息ができず抵抗もままならない。
せめて……瀬那だけでも逃がさなくては!
暗くなる視界の中に瀬那の姿を捜すが見つけられない。
「逃げ……ろ……」
必死で声を絞りだしたのと、締め付ける腕の力が緩んだのがほぼ同時だった。直前に、なにか重いものがぶつかったような鈍い音も聞こえている。
見ると、俺を襲った男は、さっき倒した男の隣で伸びていた。咳き込みながら視線を向けた先に、肩で息をつく瀬那がいる。手にしているのは、どうやらマイクスタンドらしい。衝立の陰にでもあったものなんだろう。表面は薄汚れ、ところどころに錆も浮いている。
「お…まえ、コレで?」
「非力だと侮ったレダの失敗だ。GCは王子様なんて、ふざけたことを言っているから墓穴を掘るんだ。人質を監禁するなら、凶器になりそうなものは片付けておかないとな」
不敵な笑いを浮かべる瀬那を見て、こいつが実は行動的なタイプだったというのを思いだした。木登りをして手の骨を折るなんていう過去を持つのもその証拠だ。
どちらかというと「静」のイメージが強いだけに、ともすれば忘れがちだったが、普通にとらえれば十六の健康な男だ、命の危険を感じれば実力行使に出るくらい当然だろう。
そういえばこいつ、ノアを助ける時にも自分の耳からピアスを引きちぎったんだっけ。見かけによらず、結構激しい性格だったりして……。
「グズグズしていたら、また誰かが来るかもしれない」
瀬那の指摘に我に返った。まったくもって正論だ。早く安全なところへ避難しないと、命がいくつあっても足りない。
目を合わせて大きくうなずく。
「約束……守ってくれたんだな」
「え?」
「絶対にまた会いに来るって、言ってくれたじゃないか、あの時」
別れ際の、あんな些細なやりとりなのに覚えていてくれた。
やっぱり瀬那は、俺の一番の友だちだ。
「場所まで決めてなかったけど、来てくれてありがとう」
言いながら瀬那がニッコリ笑う。こいつのこんな顔はめったに見られない。それを向ける先が自分だというのが嬉しい。
「そうだな。俺も、まさかここで会うつもりじゃなかったんだけどさ」
笑い返した俺に瀬那が手を差し伸べてくる。ギュッと握った手のぬくもりに、やっと親友を取り返したんだという実感が湧いた。