ソノリティ〜ただひとりの君へ(18)

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ソノリティ〜ただひとりの君へ(18)



■ 8th. Movement ― 希望


 学校から中央図書館までは、普通に歩けば十分足らずの距離だ。とはいえ、走って行くにはそれなりの体力が必要になる。体格も運動神経もいい聖(ひじり)ならともかく、果たして自分にできるのか不安だったのだが……。
「瀬那っ」
「ハッハッ……なんだよっ」
「おまえ……いつの間に、こんなに体力ついたんだ?」
 言われて初めて気づいた。聖のペースに合わせているというのに、なぜかあまり辛くない。さすがに息は切れているが、いつもと違ってあえぐほどじゃなかった。
 思い当たるとしたら、半年間に渡る「外」での生活のおかげだろう。ほとんど毎日肉体労働をこなし、おまけに移動手段は足だけ。しかも足元は体力を削がれる砂地だ。これで足腰が強くならないわけがない。
「地道な…努力ってとこかな」
「知らねえ間に、オトコになったじゃん」
 GCとしてドームで特別扱いされていた時には、体を酷使する行為に政府の許可は下りなかった。というより、知られる前に家族に止められた。
 特にオレは、子どもの頃骨折を経験している。要注意と周りからいつも監視され、人一倍窮屈な思いをした覚えがある。
「鍛えれば強くなる。……当然の結果だよな」
「へえ、ずいぶんと頼もしいじゃねえか。俺もおまえに対する認識を改めっかな。……お!あの角を曲がれば、じき目的地だぜ」
 この後の展開を予見し、思わず体に力が入った。
「瀬那っ!聖っ!」
 交差点の向こうからよく通る声が聞こえる。
「あっ、リオだ。リオー!」
 疑惑を伝えているというのに、呼びかけに立ち止まった聖は、屈託のない態度でリオの名前を叫んだ。応じるリオも、駆け寄り心からの笑顔を向けてくる。
「よかった!無事だったんだ。心配したぞ、瀬那」
「あ……ああ」
「聖から聞いたが、ノアはやっぱり政府に捕らえられているそうだな」
 これが演技ならたいしたものだ。
 疑いを拭いきれないオレは、自然と言葉少なになる。
「……本当に久しぶりだ。痩せてしまったな、瀬那。ノアの連絡で様子はそれなりに知っていたけど、『外』の環境は思う以上に辛いんじゃないのか?マスクだけじゃ不十分だったんだろう。……聖に持たせた薬は試してみたか?」
 薬という単語が出たとたん、体のこわばりがひどくなった。そんなオレを素早く見て取った聖が、先んじて助け舟を出してくれる。
「飲むには飲んだんだよな?でも……さ」
「まさか、まったく効かなかったとでも?」
「いやー、そのー、こいつが言うにはさ、体は楽になったんだけど、飲んでしばらく経ってから、幻聴が聞こえるようになったんだと」
「幻聴?そんなはずは……。あれは、ただの抗アレルギー剤だ。神経を惑わせる成分なんか入っていない」
 訝しげな顔で、薬を見せろと要求された。携帯と同様、上着のポケットに入れておいたおかげで、薬便はラボの連中に没収されずにすんでいる。
「…なんだ?」
「どうした?」
 瓶を見るリオの表情が翳った。やがてそれは、憤りを含むものへと変化していく。
「どこですり代わったんだ」
「え?」
「これは、僕が聖に渡したものじゃない」
「ええ!?」
 厳しい顔で言いきるリオは真剣そのものだった。薬の正体がばれそうになったのを察した言い逃れかもしれないが、それにしては真に迫っている。
「もしかして。まさか……」
「なんだよ、瀬那。なにか思い当たることでもあんのか?」
 その時、オレの中にひとつの可能性が浮かんだ。
「これを飲む前に、確か――」
 サイモンの家で薬を取りだそうとした時、アーティフィシャル・パーツの不調から聖が床に瓶を落としている。
 瓶はどうなった?――机の下に転がった。
 拾って聖に渡したのは誰だ?――サイモンだ。
 拾う手元をオレたちは見ていない。サイモンの体の陰になっていた。
 急激に、いろんな事実が結びつき始めた。
 そういえば、サイモンはラボと無縁じゃない。ドームにいた頃、ラボの外郭部門で働いていた。その時に培った技術で、「外」で暮らすネオ・ヒューマンたちのメンテナンスを一手に引き受けている。
 だが、修理のための部品をどこから入手しているのかは誰も知らない。特別なツテがあると本人は言っていたが、いくらドームの人間でも、部品を個人的に購入することはできない。勝手な改造を政府が禁止しているからだ。
 じゃあ、どうやって部品を調達している?
 ――ラボから融通してもらっていたんじゃないのか。
「ああ、そうか。あん時しか考えられねえな。絶対にそうだ!」
 同じ可能性を聖も感じ取ったらしい。
「ずっと包みに入っていたからさ、どんな瓶かなんて、俺も瀬那とも知らなかったわけだろう?拾って渡された時にすり代えられたって、薬を詰めた本人じゃなけりゃ気づかないに決まっている。間違いねえ。あの野郎が犯人だ!」
「誰なんだ?そんな真似をしたのは。『外』の医者かなにかか?」
 憤慨口調でまくし立てる聖をリオが問い詰めた。自分の調合した薬を利用されたのだから、さすがに頭に来たのだろう。
「因果だな、リオ。そいつって、おまえの会いたがっていたやつだぜ」
「なんだって……!」
 サイモンとの約束があったにもかかわらず、もう守る気もないようで、聖が真実をにおわせた。
「サイモンだよ。おまえの生き別れの兄貴だ。まさか、やつがラボの手先だったなんて!」
「待てよ。そうと決まったわけじゃない」
 ひとりっこの聖には、きょうだいの罪を暴かれる辛さがわからない。リオの心情を思うとたまらなくなり、思わず話に割って入った。
「なんだよ。この期に及んで庇うのか?ほかのやつらには親切で通ってたかもしんねえけどさ、こんな真似をされて、それでもおまえはどうとも思わねえのかよ!」
「それは……でも……!」
「俺は黙ってらんねえ!人の信頼をこうも簡単に裏切るやつなんか、きっとロクな人間じゃねえ!」
「聖、もうよせ!」
「瀬那こそ、てめえの価値を低くとらえるのはいいかげんやめろ!自分を大切にしてくれよ。おまえが守ろうとしないから、放っておけねえんだぞ。頼むからもっと利己主義になってくれ」
 ここまで言われて、やっと自身の愚かさが見えた。さんざん周囲から気遣われていたのには、ちゃんと理由があった。
 頼りないとか弱いとか、誰もオレをそんなふうに思っていない。なにかというと自暴自棄になる言動が、危なっかしくて見ていられなかったんだろう。他人の評価の根拠は、すべて自分にある。それがわからず人のせいにするのは、幼稚な子どものすることだ。
 重苦しい空気が辺流れた。直面している事態を思うと、こんな言い争いをしている場合ではないというのに誰も動きだせない。徐々に焦りが募り始める。
 このままだと、涼生と会えないかもしれない。千載一遇のチャンスなんだ。今どうにかしないと、ノアが……!
 思い立ったと同時に、ふたりを置き去りに走りだしてしまった。
「瀬那!ひとりじゃ危ない!」
 大声を上げ、聖とリオが追いかけてくる。そんな呼びかけにもスピードを緩めず、交差点の角を勢いよく曲がった。
 中央図書館のメインエントランスの前に、何台もの車が横付けされている。さっき、学校へ向かった一団のものだ。
「正面からの突破は無理だな」
 追いついてきたリオが、息を弾ませながら耳元で囁く。わだかまりなど微塵も感じさせない見事な切り替えの早さ。今は、その潔さがありがたい。
「それより涼生はいったいどこにいるんだよ?くそっ。ここまで近づけていながら!」
「落ち着け聖。それより、ちょっと試したいことがあるんだ」
 聖の疑問にはあえて触れず、リオはオレたちに植え込みの陰へ行けと促してくる。指示に従い、三人で身を潜めるようにしゃがみ込んだ。
「なにをする気だ?」
「ノアに連絡を取ってみる。中央図書館にこれだけの人数を割いているなら、彼の監視が手薄になっている可能性が高い」
「そうか。オレと同じってわけだ」
「ああ。通じるかどうかわからないが、試す価値はあるだろう」
 リオがノアへの通信手段を持っているのは、聖からも聞いている。でも……。
「どうしてもっと早く連絡を取ろうとしなかったんだ?」
 問いかけるオレに、リオは一瞬すまなそうな顔する。
「したくてもできなかったんだ。たぶん、別の人間に傍受されている。だから、おいそれと使えなかった」
「傍受?……誰に?」
「涼生だ。彼女は僕の通信機にコンタクトしてきた。通信記録を盗み取られ、会話を聞かれていた可能性は否定できない」
 「外」では天才と評価されている涼生だから、確かにそのくらいはやりかねないだろう。
「受発信の場所や内容を察知できないよう、複数のスクランブルをかけておいたんだが、甘かった。小細工が、返ってこの行為を目立たせてしまったのかもしれないな。だけど、今だからこそ使わなくちゃ、意味がない」
「そりゃそうだ。早く試してみろよ!」
 聖に急かされ、コートの内ポケットから携帯のような機械を取りだす。
「へえ、通信機って携帯型なんだ」
 聖の呟きを受け流し、リオが険しい顔で暗証番号らしきものを入力した。
「……ノア?大丈夫なのか?」
 通じたのか?
 リオの発したひとことに、固唾を呑んで続きを待つ。
「……そうか。僕らは今、中央図書館に来て――。え!?」
 驚きの声を上げリオが絶句する。
「……リオ?」
 我慢できずに名前を呼ぶと、視線で待てと告げられる。どうやらノアからなにか報告を受けているらしい。
「……うん。僕もそう考えたし、瀬那も主張していた。え?……ああ、瀬那なら無事だ。ちゃんと聖が救いだした。今は一緒にいる」
 ノアがオレを気にかけている。
 たったそれだけなのに、ものすごく嬉しかった。勝手にドームに戻ったオレを、てっきり怒っていると思っていたからだ。レダを選んだ時点で、ふたりの関係は終わったともとらえていた。だけど、まだつながりは断たれていない。
「瀬那」
 ノアとの連絡を終えたリオが、オレに視線を向けてくる。
「涼生は一階ホール脇の検索コーナーにいる。……そこにレダも来るらしい」
「え?なんであいつが?」
 質問は聖だ。ふたりの会う理由がオレにもわからない。レダが用があるのは、涼生ではなくノアのはずなのに。
「ノアが言うには、なんらかの取引をするためらしいんだが」
 取引?そんなものに、レダが素直に応じるだろうか?
 答えは否。
 あのレダが取引など。誰かと同等の立場に自分を置くはずがないのに。
「で、ノアだが、幸いなことに彼も中央図書館にいる」
「本当か?それ。だったら話は早いぜ。連中が総出で渡り合っている間に、隙を見て救いだせるかもしんねえ」
「聖の言うとおり、行動を起こすなら今だと思う。ノアが囚われているのは地下書庫だ。通用口にそこへ通じる階段がある」
「よく知ってんな、リオ」
「中央図書館は、僕の勉強部屋だからね」
「ふーん。天才ってーのは、勉強する必要なんかねえんだと思ってた」
「そんなの思い込みだ。努力せずに結果なんか出せない」
 涼生を止めなくては……!
 気づいたたとたん焦りを感じた。
 おそらく涼生は、相手がレダでも強気の態度を崩さないだろう。対するレダは、ノアの存在を疎み全面否定している。でも、好きな人を蔑まれて、あの涼生が黙っているはずがない。
 己に過度の自信を持つ涼生。自分をじゃまする者には容赦ないレダ。
 涼生が危ない。最悪、レダに殺されるかもしれない。
「僕が外のやつらの注意を引き付けるから、瀬那、おまえはタイミングを見て、聖と通用口から中に入れ」
 リオの言葉が頭を通り過ぎる。
「どうした、瀬那。時間がないって言ったのはおまえだぜ」
「聖……」
「な…なんだよ、そんな顔して」
 体じゅうから血の気が引くのがわかった。自分のせいで誰かを失うなど、二度とあってはならない。それがたとえ、オレを嫌っている相手だとしても。
 こんなふうに思ってしまったのも、たぶんゼウスの事件のせいだ。あの時だって、もう少し冷静に行動すば、きっと最悪の結末は免れた。人が人を殺していい理由は、この世に存在しない。
 言葉にするより先に体が動いてしまった。ろくに安全も確認せず、通用口に向かって一目散に走りだす。
「瀬那!?」
 驚く聖の声がする。その呼びかけに、オレを止める力はない。
 目指す場所は、ノアのいる地下書庫ではなく一階の検索コーナー。レダから涼生を守るため、政府の連中の眼前で通用口のドアを大きく開け放った。

 検索コーナーへ行くには、エントランスを横切る必要がある。だが、そう簡単に進ませてはもらえないようだ。建物の中には、ラボの連中がウヨウヨしている。
 はやる気持ちを抑えて、いったんカウンターの陰に身を潜めた。レダと涼生が目と鼻の先にいるというのに、なにもできないのが歯がゆい。
 ところが、事態は思いも寄らない方向に進んでしまう。
「こんなところでなにしてんのよ」
 いきなり背後から声をかけられ、心臓が止まるかと思った。恐る恐る振り向くと、なんとそこに涼生がいる。
「涼……生」
「もしかして、ラボから逃げだしてきたの?へえ。思ったよりやるじゃない」
 屈託のない笑顔。でもその裏には企みが秘められている。なつく振りをしていても、こいつは政府の手先だ。だけど、レダから守らなくてはならない相手でもある。
「私ってやっぱりラッキーね。このまま一緒に行きましょうよ。あなたがここにいるのなら、もうレダに会う必要はないもの」
 確かに涼生の言うとおりだ。そして、ふたりが顔を合わせなければ危険も避けられる。涼生とレダを物理的に引き離すのが最善策だ。自分が逃げるのはそれからでも間に合う。
 差しだされた手を取ろうとしたとたん、涼生の向こうにレダの姿が見えた。灰褐色の鋭い目が、涼生の背中をまっすぐに射抜く。
 マズイと思ったタイミングで、レダの注意がオレへ移った。そして、感情の読み取れない平板な声で、静かに話しかけられた。
「ダメじゃないか、瀬那。ちゃんとおとなしく待っていなくちゃ。それに、そこの女。ボクの大切な人を、いったいどこに連れて行くつもりなんだよ。……おまえはレプリカの代理だろう。余計な真似をしてもらっちゃ困るね。約束を守らないやつには、それなりのお仕置きが必要のようだ」
 ふいに、その顔つきに残忍さが浮かんだ。ゆっくり持ち上がる右手には、自動小銃が握られている。争いを未然に防ぎたい世界中の国が、真っ先に禁じたものが武器だ。こんな物騒な代物は、警察官でも携帯していないだろう。
「殺人は最大の罪だ。……そうだよね?瀬那」
 問われて蘇る苦い記憶。レダの脳を破壊した自分。あの行為は、紛れもなく殺人だ。
「GCを捕まえては皆殺しにしている政府も、罪人にほかならない。そんなやつらにこの国は任せられない。……『ゼウス』に代わってボクが平和を実現してあげよう。この国の希望はボクだ。『ゼウス』の復活じゃないんだよ」
 GCを皆殺し?いったいそれはどういうことだ。
 初めて聞く事実に、戸惑いレダを凝視する。
「政府のGC狩りは、瀬那には初耳だったんだね。信じられないだろう?君以外の適合者を捜しだすために、多くのGCが犠牲になったんだよ。そして、この国に残っているGCは君だけになってしまった。文字どおり君は最後のGC。唯一無二の存在なのさ」
 衝撃に眩暈がした。次いで、ものすごい勢いで後悔が襲ってくる。自分だけが安全ならそれでいいと、ドームを捨て「外」に逃れた。そんなエゴイスティックな行動が生んだ代償にしては、あまりに大きすぎる。
「そんな宝物を、おまえごときがひとりじめするのは感心しないな。しょせんはあのレプリカと同じか。がっかりだ」
 言い終えたレダの指が引き金にかかる。そして銃声。
 反射的に涼生との体を入れ替えた。一拍遅れで、焼け付くような痛みがわき腹に走る。
「瀬那っ!?」
 涼生の悲鳴。
 どうしてそんなにあわてるんだ?オレを嫌っているはずなのに。政府が欲している人間だからなのかな。そうでなくても、自分の目の前で死なれちゃ、寝覚めが悪いに決まっている。
 暗転し始めた視界の中心で、なぜか涼生が必死な形相をした。その後ろに、悄然な面持ちのレダ。
 ざまあみろ……!これでデータは永遠に手に入らない。
 蒼白なレダに向かって、そのフレーズを頭の中で繰り返した。



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