イノセンス〜まごころを、君に(2)

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イノセンス〜まごころを、君に(2)



 世界を震撼させた最終戦争――通称アルティメット・ウォー。
 人類史上最大の争いは、この地球(ほし)から本物の星空を奪った。
 奪われたのは星空だけではない。清涼な大気、豊かな海、緑を育む大地。いずれも、世界から永遠に姿を消してしまった。
 例外は、「ドーム」と呼ばれる人工都市の中だけだ。そこには大気があり、海があり、緑の大地がある。むろん、吸い込まれるように美しい満天の星空も。
 だが、実体はただのイミテーションに過ぎない。本物に似せて人が作った、レプリカなのだから。
 岩と砂に覆われた荒野。そこに点在するドームは、たとえるなら砂漠のオアシスだ。国ごとに五百ほどある楽園だけが、人びとが安心して暮らせる場所だ。ドームにいる限り、平穏な日常が約束される。スーパーコンピュータが管理する人工の街で、人びとは機械に守られながら生きていた。
 機械の恩恵は、暮らしだけでなく、人の体の有り様まで変えた。
 戦争で使用された化学物質と細菌は、平和を取り戻したあとも人びとを蝕み続けた。影響は、あらゆる年齢層に及び、時に命を落とすこともあった。かような状況にピリオドを打ったのも機械だった。
 高性能で精巧なアーティフィシャル・パーツ。機械を体に組み込む医療技術。機械と生体のつながりを確実にするテクノロジー、ブレイン=コンピュータ・インターフェイス――BCI。
 いずれの技術も、必然性に後押しされるかたちで、目を見張るほどの進歩を遂げた。今では、大多数の人間が体に機械を組み込んでいる。
 ネオ・ヒューマン――「新たな人類」と名付けられた彼らは、首の後ろにブレインゲートと呼ばれる小さなプラグを持っている。ブレインゲートは、機械と生身の体をつなぐためのものだ。同時にそれは、ネオ・ヒューマンの証でもある。
 聖の左腕はアーティフィシャル・パーツだ。年に一度の定期点検と、こまめなメンテナンスのおかげで、常に良好な状態に保たれている。ネオ・ヒューマンの体に、不具合の三文字はない。だから、機械中心社会への不満も薄いのだろう。
 しかし、物事には例外がつきものだ。それが、ぼくとP那だった。
 ぼくは人間ではない。人格と感情を有する特別仕様のアンドロイドだ。
 P那は人間だ。それも、希少種と称される特別な存在。数十万分の一の割合でしか生まれない奇跡の子、「神の子――GC(ゴッドチャイルド)」。体のどこにも手が加わっていない素のままの人間。
 特別とは、すなわちマイノリティを意味する。人と違うことが幸せとは限らない。現にP那は、特別であるがために、人には言えない苦労を強いられてきた。
 GCには、生まれながらにして政府から課せられた義務がある。身体データを提供する義務だ。そのためのツールが特製のピアスだ。ピアスを使い集められたデータは、技術者の手により、より精密な義体開発へとフィードバックされる。GCは、ネオ・ヒューマンのための貴重なサンプル。そのためだけに優遇され生かされていると言ってもいい。
 でも、今の瀬那のピアスにデータ収集の機能はない。ピアスは、耳の傷を隠すための単なるアクセサリーだ。本来のピアスは、先に起こった「ゼウス」暴走事件の際、瀬那が自らの意思で外してしまっていた。
 「ゼウス」暴走事件。
 それは、ぼくと瀬那が出会ったきっかけでもある。
 事の始まりは、政府が裏で推進していた思想統制計画だった。計画遂行をにらんだ実験で、政府が利用したのがぼくと瀬那だ。ぼくは、政府直轄の研究機関ラボの命を受け、瀬那と精神的リンクを試みるよう命令された。
 もくろみは成功した。だがそれまでだ。究極マシーンとGCの融合記録(データ)は、ついに政府の手に渡ることはなかった。
 ぼくが政府を裏切ったからだ。自らの意志で選んだ初めての人を、ただ守りたいがために。
 裏切りは、すぐに政府に知れ渡ることとなった。察知し通報したのは、スーパーコンピュータ「ゼウス」に人格と感情を与えたレダという少年。ぼくのオリジナル。自分を人間と信じて疑わなかったぼくが、植物状態の双子の兄と慕い続けた相手だった。
 オリジナルへの造反に激怒したレダは、ぼくを不良品と罵り捨てた。バグデータを流し込まれ、あわや機能停止かと思われたその時、ぼくを救ったのは、一方的に利用し続けていたはずの瀬那だった。クラスメイトのリオとともにラボに潜入した瀬那は、ピアスを使い「ゼウス」のコア――レダを破壊したのだという。
 P那はぼくの恩人だ。
 その時から、持てるすべてをかけて彼を守ろうと決意した。瀬那のためなら、こんな作り物の体などどうなってもいい。ドームの「外」にいる時も、ドームに戻った今も、ぼくはP那を守るためだけに存在している。
 スーパーコンピュータ「ゼウス」は、コア=レダの破壊により、今もなお不安定なままだ。
 「ゼウス」の機能低下は、すなわち政府機能の低下を意味する。そんな状態で、ドームの平和を維持できるわけがない。
 政府の混乱に付け入ったラボは、持てる技術の粋を集め、レダを復活させ、かつ独走を始めた。
 対する政府は、ラボの反乱に焦りを覚え、主導権を維持するために、とんでもない方策に打って出た。
 それがGC狩りだ。
 「ゼウス」修復を目的に、国じゅうのGCを拘束しては「ゼウス」とのリンクを求めたらしい。
 そして、適合しないことが判明すると、今度は片っ端から抹殺していったという。――口封じと、第二のP那を生みださないために。
 今のこの国にGCは瀬那だけだ。政府もレダも、喉から手が出るほど彼を欲しがっている。
 いったんは「外」のコミュニティで生きる道を選んだぼくたちだったが、さまざまな事情から今はドームに戻っている。
 衆目の元に身を置くことが、返って安全につながる。そう考えた末の結論だった。
 幸いドームには、少数だが味方になってくれる人がいる。瀬那の幼なじみの聖と、クラスメイトで天才児と謳われたリオ。そして瀬那の家族。
 平穏な日々を瀬那に贈りたい。夜空を見上げていられる幸せを、もっと彼にあげたかった。
 ――それがぼくの夢だった。

「そういえば、ノア。こんな話を知っているか?」
 家路をたどる途中で、いきなり瀬那に問われた。なんだろうと思い目を向けると、歩きながら再び空を見上げている。
「海を隔てた大陸に、星が出てくる神話があるんだ。その中に、天の川をはさんだふたつの星が、年に一度遭遇するっていう逸話があって」
 それはぼくも知っている。
「ベガにアルタイル。……七夕伝説だね」
 言い当てたら、瀬那の目が嬉しそうに細められた。
「運命って感じがしないか?」
「運命?」
「無数にある星の中で、あらかじめ出会うのを定められていることがだよ」
 暗に「自分たちのよう」と言われたみたいで、たちまち胸が温かくなった。ぼくとの出会いを「運命」と思ってくれるのなら、これ以上の幸せはない。
「一度でいいから、本物の星空を見てみたいぜ」
「大丈夫。いつかきっと見られるよ」
 P那の言葉に応じたとたん、また不安に襲われた。
 アンドロイドの命は、パーツを交換さえすれば永遠だ。
 でも、瀬那は違う。
 彼が生を全うしたあと、残されたぼくはどうなるのだろう?残される悲しみを耐えることができるのだろうか?
 ――人間同士だって別れは来る。別れは、誰もが避けて通れない道だ。
 その事実に、この時のぼくはまったく気づけなかった。アンドロイドであるがために、P那とともに歩めないのだと、ひとり悲観を深めていた。


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