イノセンス〜まごころを、君に(3)

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イノセンス〜まごころを、君に(3)



「お兄ちゃん、朝ですよぉー」
 閉じたまぶたに、かすかに感じる朝の光。
「お兄ちゃん。お・き・てっ!」
 繰り返される呼びかけが、オレの意識を揺り起こす。
 少し舌足らずなミチルの声。許されるなら、もう少しこのままで聞いていたい。
「早く起きないと、ご飯を食べる時間がなくなっちゃうよ」
 ふいに食事の話を持ち出され、とたんに覚醒が進んだ。普通の食事を普通に食べられる幸せが、今のオレにはある。
 「外」での暮らしで、一時とも手放せなかった防護マスク。命の綱とはいえ、日常生活への影響は無視できないほど大きかった。
 マスクをしたままでの食事。口に出来るのは、おのずと流動食に限られた。そんなものは食事ではない。ただのエネルギー補給だ。
 ――そういえば、今日も夢を見なかったな。
 夢もまた、忘れられない負の思い出のひとつだ。レダの干渉を受け、連日の悪夢にうなされことは、ドームに戻った今でも記憶に生々しく残っている。
「寝坊なんてしたら、お母さんに怒られちゃうよ。夜中に外出したせいだ、って言われても知らないから」
 「えいっ」というかけ声とともに、体にズシリと重みがかかる。
「お兄ちゃんってばっ」
 驚き目を開くと、すぐそこにミチルの頭がある。ほとんど、のしかかろうかという体勢だ。
「起きるよ。だからどいて。重い」
「ふぅ、やっと目が覚めた。本当にしょうがないんだから」
 母親を真似た口ぶりが、あまりに不似合いでおかしい。肩をすくめ上体を起こすミチルに、思わず苦笑がこぼれた。
 こういった体のぶつかり合いは、以前のオレたちにはなかったものだ。GCという立場が邪魔をし、物心がついて以来、互いが互いを気遣ってきた。
 でも、今は違う。
 ピアスを外したおかげで、オレの身体データは政府に伝わることはない。ケガも不調も、内輪で処理すればいいだけの問題だ。
 身支度をすませダイニングへ下りる。食卓を見てびっくりした。多忙な父さんが、この時間にまだ家にいる。
「おはよう、瀬那」
「おはよう。今朝はゆっくりなんだ」
「ああ。中央図書館が臨時休館でね。なんでも建物の設備点検とかで、だから今日は、午後からの出勤でいいと言われている」
「ふーん、そう」
 短く受け答えをし、母さんから手渡されたコーヒーに口をつけた。
 父さんは今、中央図書館に勤務している。件の「ゼウス」事件が起こるまでは、ドームの入場管理の仕事をしていた。オレのせいで一時は職を失ったらしいが、二ヵ月ほど前に政府から突然辞令が届いたのだという。
 二ヵ月前といえば、オレが中央病院(セントラルホスピタル)に緊急入院した時だ。そんなタイミングでの辞令発令は、まるでオレが家に戻るのを見越したかのように思える。
 だが政府は、オレたち一家に救いの手など差し伸べないだろう。オレはやつらを裏切った反逆者だ。そんな人間に――たとえ稀少なGCであっても、政府が肩入れをするはずがない。
 ――はずはないのだろうが、現状はなぜか真逆を行っていた。
 今思えば、オレの入院にも腑に落ちない点が多かった。普段はケガ人など引き受けない中央病院が、無条件でオレの治療を行ったのも、考えてみれば不自然な流れだ。

「そんなん、P那が最後のGCだからに決まってんだろ」
 オレの疑問をひとことで片付けた聖が、手元のパック牛乳を取り上げる。ストローなど端から使う気はないらしく、直に口をつけ、いっきに飲み干した。
 サンクチュアリ・スクールの昼休み。校庭は人影もまばらだ。腰を落ち着かせて食事をする物好きな生徒は、オレたちくらいしかいない。
「裏切り者だろうが反逆者だろうが、価値があれば保護する。お上の考えなんてそんなもんさ。特別扱いなんて、驚くようなことじゃねえよ」
 あくまで聖は、オレの疑問を否定したいらしい。
「だが、ケガは特に致命傷でもなかったし……。確かに出血は多かったけど、それくらいで、あそこが治療を引き受けたりするものか?」
「致命傷だったぜ、立派に!処置が遅れたら出血死の可能性もあった、って医者から言われただろう」
 突然飛び出した「出血死」の言葉に、聖の右隣に座るノアの顔が見る見る曇っていく。
「出血死は大げさだぜ」
 そんなノアを、これ以上不安にさせまいと、即座に言い返したのだが、
「僕も聖と同意見だ」
 食事を終え本を読んでいたはずのリオが、いきなり話に加わってきた。長めの髪をうるさそうにかきあげ、体ごとこちらを向いてくる。
「政府の浅はかな考えのせいで、貴重なサンプルがさらに貴重になったわけだから、やつらが慎重になるのも当然だ。最後のGCまで失うわけにはいかないだろうし」
「おい、リオ!」
 リオの発言に、今度は聖がかみつく。なにかが気に障ったらしい。
「瀬那に向かってサンプルなんて言い方すんなよ!……おまえって時々、信じらんねぇくらい無神経だよな」
「がさつな君には言われたくないな。思うほど、P那は気にしていないよ。気にしているのは、どちらかというと聖、君だろ」
「なんだと?」
「瀬那のこととなると、君は面白いくらい神経質になるな。好きな相手を思いやるのは勝手だが、過ぎれば嫌われるぞ。それとも、もう一度瀬那を失って寂しい思いをするつもりか?」
「えっ!そ、そんなっ。好き……?それに……誰が、寂しいって……!」
「冗談だ」
「……リオ……てめえ!」
 期せずに始まった言い合いのせいで、オレの疑問はそのままにされてしまった。
 無意識のうちにため息がこぼれる。
「どうしたの?なにか心配事でも?」
 ノアに尋ねられるが、同じ質問をしたいくらいに表情が堅い。
「そういうおまえこそ大丈夫か?聖の両親とはうまくやっているのか?」
 身寄りのないノアは、今は聖の家で世話になっている。当初は、オレも一緒にやっかいになる予定だった。少しそうやって立ち位置を模索し、生活の基盤が築けたらノアとふたりで暮らそうと思っていた。
 しかし、事情が変わった。家族と和解したオレは自分の家へ戻り、結果、ノアだけが聖の家に引き取られた。
「ストレスとか、たまっていないか?……おまえ、妙なところで遠慮したりするからな」
 長らく行き来がなかったオレと聖の家は、ノアの同居がきっかけで付き合いが復活した。だから、ノアの立場や状況は把握しているつもりだ。でも、事実は往々にして伝わってこないものと相場が決まっている。
「P那が心配することはなにもないよ」
「そうか……」
 さすがに、これ以上の質問は躊躇われた。それでも不安が拭いきれず、ノアの横顔を盗み見る。
 プラチナブロンドに縁取られた顔は、相変わらず儚げでキレイだ。以前は表情に乏しかった顔つきも、レダの束縛から解放されて以来、グッと人間味が増してきている。
 そのぶん、ごまかしができなくなっているのだが。
 ――こいつ、絶対に無理をしている。
 勘ではなく確信だった。
 本当はそばにいてやりたい。ノアから好かれ、自分もノアを好きなだけに、こうやって他人任せにするのは辛い。
 だけど、今はまだダメだ。近くにいることが、返ってノアを苦しめかねない。
 ドームに戻った直後、オレの夢にノアがシンクロしてきたことがあった。ノア本人にシンクロの自覚がなかったので、訳もわからずふたりで戸惑った。原因はいまだ不明だ。ピアスなしで通じ合った理由もわからない。
 無自覚のシンクロは、ある意味危険信号だ。このままの状態が長く続けば、最悪、レダの介入を許してしまう。そう考えた結果、オレたちは互いの距離を置くことを決めた。
 なるべくふたりきりにならない。話をするのは、学校か、誰かと一緒の時のみ。
 そんな努力の甲斐もあり、シンクロはウソのようになくなった。
 その代わり、ノアの不安は増したに違いない。
 「一緒に生きよう」と誘っておきながら、つかず離れずの放置状態。
 なんて無責任なんだろう。
 シンクロの責任はオレにもある。なのに、ノアにだけガマンを強いる自分が許せない。オレがそばにいれば、間違いなくノアの不安は消える。だが同時に、シンクロ再発の危険性が高くなる。
 ジレンマだ。どうすればいいかわからない。
「そういえばリオ、おまえ、昨日メンテナンス・クリニック入りしたんだろ。結果はどうだった?」
 言い合いに飽きたのか、聖がいきなり話題を変えた。あいつがリオの体を必要以上に気にかけているのは知っている。きっと、以前耳にした信じがたい事実――リオがGCという事実が頭に残っているせいだ。
「なにか言われなかったか?……パーツ交換の必要があるとか」
「別になにも。この年になったら、さすがに頻繁なパーツ交換などないよ。特に僕の場合、手を加えられているのは脳の部分だけなんだし……。本当は、数年に一度のチェックでいいくらいだ。呼びだしも、おそらくブレインゲートの動作確認のためだろう」
「……そっか。よかったな」
 ラボと政府によるオレとノアの拉致には、ひとりの天才少女が関わっていた。
 「外」生まれのGC、涼生(りく)。生身の体でありながら過酷な環境にも順応する新しいタイプのGC――ネオGCと呼ばれる人間のひとりだ。彼女は、政府にネオGCを認めさせる目的でノアを罠にはめた。
 その涼生が、リオをGCと断言したのだという。情報の出所は、リオの生き別れの兄、サイモンらしい。サイモン自身が、政府とラボの目をごまかすために、リオに偽のブレインゲートをつけたというのだが――。
 話を鵜呑みにした聖は、以来、リオがGCだという疑いを抱いたままでいる。
 涼生とのやり取りは、リオから打ち明けられ知っている。だがオレは、涼生の言葉を真実とは思っていない。なぜならリオは、メディカルチェックで引っかかった経験がないのだ。個人データを改ざんは、内部事情にかなり通じている人間でなければムリだ。
 確かにサイモンは、かつてラボに従事していた。でも、それだけで政府を欺きとおすことができるものだろうか?
 リオ自身も、涼生の話を信じていない。涼生の言葉に惑わされているのは、聖だけだ。
「あのなあ、聖。『よかった』って顔じゃないだろ、それ」
 こだわりの捨てきれない聖の態度に、リオも自然と呆れ口調になる。
 キーンコーン、キーンコーン……。
 昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。
「遅れないうちに戻ろうか」
 リオに促され、そろって教室を目指し歩きだす。
 前を行くノアの小柄な背中を、なんとも言えない気持ちで見る。リオにこだわる聖を笑えないくらい、ノアが気になってしょうがない。
 ノアはオレといて幸せなんだろうか?「外」の生活でオレが抱いた苦しみを、今のあいつも感じているんじゃないのか?
 ならばオレはどうすればいい?どうすればノアが楽になれる?
 「外」で暮らしていた時と、立場はまるで逆だ。表面上は落ち着いて見えるノアだが、ふとしたはずみに、表情に翳りが走ることがあった。そのさまがどこか痛々しく、見るのが切ない。
 ――自分がノアにできることはなんだろう。
 午後の授業の間じゅう、そのことばかりを考え続けてしまった。


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