イノセンス〜まごころを、君に(4)

トップページ/オリジナルノベルズトップ

イノセンス〜まごころを、君に(4)



 学校で教師と顔を合わせるのは稀だ。それは、オレたちの通うサンクチュアリ・スクールに限ったことではない。カリキュラムの指導は、すべてコンピュータが行う。国が定義する学校とは「学びの場」ではないのだ。危険分子を生み出さないための「監視の場」ととらえるのが正しい。
 だが、生徒は誰ひとり、この事実に気づいていない。政府に疑問を抱いているリオや聖ですらそうだ。事実を知るのは、ブレインゲートの影響を受けないオレとノアくらいだろう。
 終業チャイムが鳴り、皆が一斉にモバイルを閉じる。帰り支度をしつつあたりを見まわすと、どういうわけか聖の姿がない。
「ノア」
「なに?」
「聖を知らないか」
「それが……さっきの課題の途中に、急に教室を出て行って、どうもそれっきりみたいなんだよ」
 課題は、到達度確認のための小試験だった。出来のいい生徒――たとえば天才と謳われるリオなどは、終了を待たずに席を立っている。
 だが今日の試験は、聖が最も苦手とする数学だ。
「そいつは変だな。具合でも悪くなったんだろうか」
 ――でなければ、サイモンのことでリオと話をしているとか、か。
 本心は声に出さず、心の中だけでつぶやいた。
「あんがい試験のヤマが当たったのかもね」
 サイモンの正体を知るオレとは違い、ノアは聖の行動を大事ととらえていない。別になにか気がかりがあるらしい。
「ごめんね。これからぼく、ちょっと行かなくちゃならないところがあるんだ」
 案の定、先を急ぐ素振りを示された。
「聖に会うことがあったら、夕飯までには帰るって伝えておいてくれるかな」
「ああ、わかった」
「ありがとう。じゃあ、また明日ね」
 ノアの背中を見送ながら、やはり聖を探そうと決め、自分も教室を出た。
 ――ふたりとも、いったいどこに行ったんだ?
 確証があるわけではないが、なぜか一緒にいるように思えて仕方がない。
 ――たぶん、オレたちに聞かれたくない話でもしているんだろう。
 ならば、可能な場所はひとつしか思い浮かばない。
 以前、オレが監禁された音楽ホール。――あそこなら密談にはうってつけだ。
 音楽ホールは地下だ。はやる気持ちで、小走りに階段を駆け下りていく。
 期待を込め、二重ガラスの小窓をのぞくと、思ったとおり人の気配がある。
 鍵は開いていた。用心深くドアを開ける。部屋の中からはかすかな話し声。やはり聖とリオだ。
「さっきの話だが……」
「メディカルチェックのことか?」
 リオの言葉を受け聖が返す。沈んだ口調のリオとは違い、普段どおりの言い方だ。
「ひょっとして結果が思わしくなかったか?あるいは、もっと深刻ななにかとか」
「いや、違う。検査にはまったく引っかからなかった。そうじゃなくて……中央病院(セントラルホスピタル)の前であいつに会ったんだ。……メディカルチェックの日を狙って待ち伏せされた」
 “あいつ”とは誰だろう?口振りからして、歓迎できる相手じゃないというのだけはわかる。
「ふーん。性懲りもなく、まだおまえにつきまとっているのか。これ以上、なにを探るつもりなんだろ」
「僕もそう思って無視したら、目の前に立ちはだかられ、おまけに責められたよ」
「責められたってどういうことだよ。なんて言われたんだ?」
「……『こんな茶番をいつまで続けているつもり?』」
「はあ?」
 リオの答えに、聖が戸惑いの声を上げた。
「『今回は、あの人の命令で私が手を打ったからどうにかなったけど』――」
 「意外な人物」の台詞を、リオは再現しているらしい。
「――『次回はないものと思いなさい。そうなった時、あなたはどうするのかしら?』」
「なんだよ、それ。意味がわかんねえ」
「僕にもわからないよ。だから、わかるように話せ、と言ってやった」
「……で?」
「天才なら自分の頭で考えろ、だそうだ」
 応じながらリオが大きくため息をつく。どうやらその相手とは、昨日や今日始まった関係ではなさそうだ。
 とはいえ、スクールの生徒ではないだろう。彼らはリオを相手に言い合いなどしない。ましてや責め立てるなど論外。天才相手に口で勝てないのは、みんな十分に承知している。
 だとすると、政府かラボの人間?だけど女言葉を使っていた……。
 待てよ。女言葉?……まさか…そいつ。
 ――――涼生?
「待ち伏せはこれで何度目だ?おおかた、おまえがGCだって言いたいがために、絡んできたんじゃねぇの?」
「たぶんそんなところだ。だけど今回は、聞き捨てならないことも口にしていた」
「なんて言ったんだ?あいつ」
「政府を見限るつもりだ、と」
「え?あんなに取り入ろうとしていたのに?」
「涼生が言うには、現在のこの国の全権は、あの『ゼウス』が握っているらしい。だが肝心の『ゼウス』は、コアを無くしたせいで不安定な状況に陥っている。シャットダウンの命令すら受け付けないというから、かなり深刻だな。なんでも、プログラムを中断するための命令系統に、外部から解除不能なプロテクトがかかっていて、専門家でもお手上げなんだそうだ」
 初めて知る政府の現状に、頭を殴られたような衝撃が走った。
「事の真偽を知りたくて、昨晩、自分でも調べてみた。結果は、涼生の言うとおりだった。実務レベルの人材が、ことごとく政府と距離を置き始めている。その状況に付け入ったのがラボというわけだ」
「ラボ……。なるほど、そういうことか」
「僕らがにらんだとおりだったな」
 キュッ。
 体が揺れてドアにぶつかり、踏ん張った拍子に靴が鳴る。マズイと思うがもう遅い。
「……瀬那」
「おまえ……今の話を……?」
 目が合い、全員が言葉を失った。
「……説明…した方がいいのかな?」
 リオの問いかけに、黙ってうなずくのが精いっぱいだ。
「瀬那は、涼生を覚えているか?」
 忘れるはずない。オレとノアを危うくする原因をつくった人間なのだから。
「彼女は、いまだこのドームにとどまり続けている。レダとの間に、あんなトラブルがあったというのにね。どんな目的で残ったのかはわからないが、この間から何度か僕に接触を試みてきたよ」
「……昨日のメディカルチェックでも?」
「そうだ」
「じゃあ……政府の状況がどうこうというのは?」
 オレからの質問に、リオと聖が顔を見合わせる。どうやら聖は、かなりの度合いで事情に通じているらしい。
「政府は『ゼウス』をコントロールできていないと言っていたが、まさか、またレダが介入して……?
」 「それはない」
 たまらず漏らした不安は、即座にリオに否定された。
「大丈夫だ、瀬那。コアだった頃とは、あきらかに事情が違う。レダは『ゼウス』をコントロールなどできない」
「そうだぜ、P那。それに、あの涼生って女だって、おまえに手出しできねぇよ。おまえのまわりには、俺たちや家族がいるんだし」
 ふたりがかりで押し切られ、反論の余地も与えてもらえない。
「ドームにいる限り、おまえは安全だ」
 およそリオらしからぬ強気の態度に、抱いた不安は返って大きくなってしまった。


BACK/NEXT

inserted by FC2 system