◇◇ あり得ねえよ!−由典サイド ◇◇
鬼堂を怒らせ、食らったマジパンチ一発。それだけですめばよかったのだが、半壊したドアと、真ん中からへし折られたダイニングテーブルは元に戻らない。
バカ力め!少しは加減しろよな!
なんだよ。おまえの命令に従い女装までしたじゃん。でもって、ちゃんと犯人を特定できたわけだし、当初の目的は百パー達成だろ?
そりゃ、ツメが甘かったのは認めるぜ。鬼堂を激怒させることを仕出かした自覚だってある。そのあと、おまえにバカな言い方をしちまったのもな。
約束破りと失言。両方への反省はさすがにあった。なので、怒りにも加速がかからない。
ケガは放っとけば治るし、ドアやテーブルのひとつやふたつ、なくたって別に生活に支障はない。
だったらここはひとつ、オレが大人になってやるか。
と、鬼堂が知ったら憤慨必至の結論にいったんは落ち着きかけたのだが、あろうことか身内に追い討ちをかけられた。
相手は薫子。
親子は他人の始まりとはよく言ったもんだ……て、オレたち最初っから血のつながりなんかねーし。
確かに弁償しろとは言われたぜ。それはちゃんと覚えている。
だからって、「なんでもアリ」はねえだろ?限度ってもんを知らねえのかよ。
渡されたのは、高級北欧家具のカタログだった。でもって、「前から欲しかったのよー」とか言われ、思わず絶句した。
で、値段を見てさらにぶっ飛んだ。予定よりゼロの数がふたつも多い。
痛手は別にもある。拉致された時に、仕事用の携帯が再起不能になってしまったのだ。
スレイヤーとオーガーでバカ力つながりかー。
ふざけた感想を抱いてしまうが、GPS機能付きの衛星携帯は目の玉が飛び出るほど高い。
あーあ、散財だ。いってぇなあ……。
頭痛とため息が止まらない。おかげで、今回の報酬はすべてパー。て、オレの分があればの話だけど……。
それも望めないとなると、今日子さんに頼みこむしかない。あとに残るのは、地獄の借金生活だ。
金に厳しい薫子には、とうてい太刀打ちできない。文句を言ったら最後、門扉やドアまで弁償しなくてはならなくなる。当面の間、生活全般に渡って節約することになりそうだ。
「仕事をしたいのなら、存分にさせてやる。少し時間をくれ。準備が整ったら連絡する」
別れ際の鬼堂の言葉に、正直不安が止まらない。
今度はいったいどんなことをさせようとしてるんだ?この間だって、女装なんて想像を絶するアイデアを押し付けられているし……。なんかさー、やーな予感がすんぜ。
利害が一致する相手とはいえ、鬼堂の考えにはついていけない部分が多い。おまけに、すべてのハンターが自分と同じ能力を持つと思いこんでいるから、なおさら始末に終えなかった。
おまえみたいなスーパーマンばっかなら、オーガーなどとっくに絶滅してるってーのっ!
面と向かって怒鳴りつけたいのだが、ムダな行為なのでやめておく。きっと蛙の面にナントカだ。そんなことで体力や気力を削ぐわけにはいかない。
命令待ち状態ゆえ、ひたすら自宅待機が続いている。ガッコにいると、迅速な対応ができなくなるからだ。
ズル休みをしている関係上、ちょっとした外出すらままならない。欠席の理由も、そろそろ底をつき始めているし、この調子じゃ、早晩転校も覚悟しておかなくてはならんだろう。
たいくつだ。
暇だと余計な考えが起きるのは、人でも人外でも同じらしい。
そういえば、渡会はあれからどうしたかな?高橋たちとどっかでやり合ったりしていないだろうな?あん時も、まさに一触即発って感じだったし。暴行事件がストップしているのも、もしかしたらそのせいだったりして。
オレには、渡会がオーガーとはどうしても思えなかった。理由はちゃんとある。頻繁に人を襲う真似をしていれば、マジックでも使わない限り、ああまで血の気配がゼロにならない。
確かにオレは、鬼堂の渡会犯人説に賛同した。でもあれは、言いだしたのが鬼堂だからなんであって、そうでなければ、とっくに血の気配の件に気づいていた。
ならば結論はひとつ。昔はどうあれ、連続暴行事件の犯人は高橋と真里乃で、渡会はやつらとは無関係だ。
と…言い切れないところが情けない。
なぜなら、あの鬼堂に限って、誤認などあり得ない。
さっきから、同じことばかりグルグル考えている。頭ン中は「渡会アキラ」でいっぱいだった。他人への興味や執着の薄い自分としては、こんなふうになるのはかなりイレギュラーだ。
だけどさー、時間をくれって、いつまで待ってりゃいいんだよ?
鬼堂はおろか、バルバラからも呼びだしがない。完全なる放置プレイ。蚊帳の外は、オレ好みの居場所じゃない。
そんなこんなで、時間ばかりがいたずらに過ぎた。
そして、鬼堂の殴りこみから一週間たった日の夕方、オレンちに珍しく訪問客があった。
* * *
「由典ー!お友だちよ!」
鳴らない携帯をにらみ、ベッドに寝っころがっていたオレは、薫子の台詞にあわてて部屋を飛びだした。訪問者が、てっきり鬼堂と思ったからだ。
だが、向かった先にはまったくの別人がいた。
「こんにちは、ユースケ」
「安住……」
安住とは、あの暴行事件以来、初めて顔を合わせる。見舞いに行くと決めていたのに、鬼堂の命令のせいでそれもできずに終わっていた。
「具合はどう?…なんて愚問か。だって、欠席理由は病気じゃないんでしょう?はい、これ、たまっていたプリントね」
「……さんきゅ」
受け取る際にチラッと見た腕には、真新しい包帯が巻かれている。紺色のコートの袖口からのぞく白さが痛々しい。
「傷、痛まねえ?」
「うん、もうへーきだよ」
通りいっぺんの気づかいにも、意識してのものなのか、ものすごく普通に返された。後悔を思いだし、いっそう気分が沈みこむ。
この時のオレは、安住にばかり気を取られていて、背後に佇むもうひとりの人物を察知できていなかった。
「久しぶりだね、由典くん」
「わ…たら…い……」
涼しげに声をかけられ、初めて存在に気づく始末だ。虚を突かれたのと、相手が思いもよらぬやつだったせいで、まともに対応ができない。
「アキラくんがね、どうしても顔を見たいっていうから、連れてきちゃった」
事情を知らない安住はニコニコ顔だ。そういえばこいつ、渡会ファンだったっけ。
「傷の具合はどう?学校へ来られないほど思わしくないのかい?」
質問され思いだした。安住だけじゃなく、オレもケガをしていたんだった。だけど、あんなかすり傷、記憶に残るほどのものじゃない。
「あんなもの、ケガのうちに入んねえよ」
本心からの言葉だったのだが、
「それなら、どうして学校を休んでいるんだい?なにかほかに理由でも?」
あくまでもオレの事情を訊きだしたいらしい。だが、オレにしてみれば、なぜ渡会が自分にこだわるのか疑問だ。
この間の一件で、自分の本性をオレに知られたのは、渡会も十分承知のはずだ。オレのなんたるかも同時に聞いたわけだから、逆に身の危険を感じるべきなんだろうに。
だったら、どうしてハンターの懐へ飛びこむ真似をしてくる?もしかして、相当になめられてんのか?
深読みから憤りを感じかけたが、即座に戦闘モード突入という気になれない。
助けてもらった経緯から、渡会に敵意を抱けなくなっているのは確かだけれど、この複雑な感情の出所はどうもそれだけじゃないみたいだ。
個人的に話をしてみて思った。渡会には憎みきれない部分がある。同族だからそう感じたんじゃない。それなら、ほかのヴァンパイアにも同じ感情が持てる。
対する渡会も、あの時も今も、オレへの警戒心はまるでない。それどころか、本気で心配してくれている。
「ケガ自体より、ケガをさせられたショックの方が大きかったのかな?心の傷っていうのは、体に比べてある意味やっかいだからね」
おまけに、やけに意味深な台詞を口にされた。
「聞いたわよ。ユースケってばケガしていたっていうじゃない。知らなかったよ。大丈夫?でも、いつの間にアキラくんと仲良くなったの?」
仲良くなんて、なってねえぞ!ちっとばかり助けてもらっただけだ!
言い返したいが、当然できない。おまけに渡会も否定してこない。
おまえから間違いを正せ、と視線で訴えてみるものの、涼しい顔でスルーされた。その態度を見ていて、この間の監禁騒ぎでの不毛なやり取りが記憶に戻った。
人をお姫様扱いしやがったアレだ。
思いだしたとたん、憤りのギアがローからハイにシフトチェンジする。
こんにゃろー!てめー、オレのこと本気でバカだと思ってんな。女装が趣味で、女に乱暴されても無抵抗。情けなさもここに極まるってか?
第一、「心の傷」なんて回りくどい言い方をしてるんじゃねーよ!つーか、なんでここにいるんだ?オレのアホ面でも拝みに来たのか?
「……この間はいろいろとどうも。面倒かけてすまなかったな」
一応の礼儀と、怒りを呑みこみ上辺だけで礼を言う。ちゃんと社交辞令できるあたり、オレもなかなかのものだ。エキストラなら務まるかもしれない。誰か劇団に推薦してくれ!
「お礼なんて必要ないよ。君の方こそ、ずっとボクを捜していたそうじゃないか。それならそうだって言ってくれればよかったのに」
この情報の出所は安住だな。こいつはオレのストーカーだから、ここのところのオレが渡会を探っていたなんて、とっくにお見通しだったんだ。女ってーのは、どうして自分に無関係の問題にまで頭を突っこむんだろ?そんなん知って、なにが楽しいんだよ。
「言ってくれれば」と言われたところで、「はいそうですか」と返せるわけがない。「おまえはオーガーか?」とは、さすがに訊けねーし。
そこまで考えていて、ふとある作戦がひらめいた。
そうだ。本物の渡会を使えば、オーガー連中をおびき出せるかもしれない。
監禁騒ぎがあった時、実は重大なポカをやらかしていた。真里乃の所在に通じる手がかりをゲットし損ねたのだ。
居所のわかる高橋ひとりを始末しても、それだけじゃ解決には至らない。下手すると、真里乃の怒りを増幅させる結果につながる。
行方のわからない相手を見つけるには、囮(おとり)を使うのが一番だ。けど、オレの失敗のせいで、偽物作戦は二度とできない。
だったら、本物を使えばいいじゃん。
「話?ああ、そうそう!話っていうか、ちょっとばかり頼みがあってさ」
「頼み?ボクになにを頼みたいの?」
先を促す言い方に脈を感じた。
「ちょっとさー、おまえに会いたいって人がいて、どうしても約束を取り付けてくれってうるさいんだ。な?頼むよ。顔を合わせるだけでいいんだ」
会いたい人とは、もちろんゆーさんだ。
オーガー連中は、鬼堂とオレがデート(の振り)をしているのを見て動いた。なら、今度は渡会本人で同じことをすればいい。
そんな渡会のお相手に、ゆーさん以上の適役はいないだろう。
オレってあったまいいー!おまけに、なんて友だち思いなんだ。ゆーさん、オレに感謝しろよなっ。
「ごめんね。そういうのって、正直あまり気が乗らないんだけど……」
ところが、渡会がにわかに警戒を強めた。オレの言い方に裏を感じたのかもしれないが、それくらいで引くわけにはいかない。
「知らない人じゃないんだぜ。相手はハレルヤの店長さ」
「店長……沖田さん?」
名前に、渡会の顔つきがいっそう硬くなる。
「……それは……ちょっと」
どうやら失敗のようだ。はっきり拒否の返事が戻った。この分だと、ゆーさんの邪(よこしま)な感情はバレている。じゃなければ、名前ひとつでこうまで警戒してこないだろう。
くそー。いいアイデアだと思ったんだけどなあ。どうすりゃ「うん」と言わせられるんだ?
「ひとつ……条件をつけてもいいかな?」
驚くことに、譲歩の言葉が渡会から出た。
「……それって、無理難題じゃねえよな?」
今度はオレが警戒する番だ。思わず、探る訊き方をしてしまった。
「そうだね。…たぶん」
なんだか歯切れが悪い。不安は拭えなかったが、今はえり好みをしている場合じゃない。
なのでここは、あえて話の先を促した。
「いいぜ。言ってみな」
「鬼堂くんと由典くんって友だちなんだよね?できれば…そのー…彼に付き添いをお願いできないかな?」
え、鬼堂?オレじゃなくて、あいつ?
――そういえば、次に渡会が接触するとしたら、相手は間違いなくおまえだろうって話を鬼堂としたんだった。
もういっこ思いだした。確か、ゆーさんも同じことを言っていた。渡会が鬼堂に会いたがっているとかいないとか……。
「ダメかな?」
渡会にしてみれば、オレの提案こそ渡りに船なのかもしれない。
けどさー、そっくりさんが顔を突き合わせて、いったいなにをしたいんだろう?ゆーさんと同じで、渡会もホ○だったりすんのかな?だから鬼堂に興味があるとか。……ナルシストの○モかあ。うっわー、想像したくねえ。
真剣な表情の渡会からは、鬼堂への並々ならぬ執着がうかがえた。
オレが「うん」と言いさえすれば、きっと思いどおりに事が運ぶ。
「じゃあ、鬼堂に付き添いを頼むよ。…それでいい?」
「わかった。日時と場所はあとで連絡をもらえるかな?これ、ボクの携帯番号」
鬼堂への遠慮はなかった。
それより、期待していた「イエス」がもらえ浮かれてしまう。おまけに個人情報もゲットだ。今日はラッキーデーに違いない。
自分が鬼堂を使える、と思うだけで、なんだかワクワクしてくる。もちろん、命令には無条件で従ってもらう。だって、鬼堂はオレのパートナーだもん。
だがここで、大変な問題に気づいてしまった。
なんてこった!約束をしたはいいけど、鬼堂のやつをどうやって呼びだしたらいいんだよ?
実を言うと、キツーい一発を食らって以来、鬼堂とは連絡が取れていない。向こうからなしのつぶてはもちろんのこと、オレからアクセスしようにも、常にシャットアウト状態なのだ。携帯は圏外か電源が入っていない。家の電話も留守電になったままだ。
それに、たぶんあいつは家にいない。きちんと確かめたわけじゃないが、難儀なミッションの最中の鬼堂は、家族からなるべく離れるよう心がけているらしい。ゆえに今のオレは、「待て」を命ぜられた犬同然の扱いになっている。
ひでーぜ、鬼堂。たまには人並みに扱ってくれ。
と愚痴を言うのは後回しだ。なにか方法を考えないと、せっかくのお膳立てが台無しになる。
「迷惑になるといけないから、そろそろ失礼するね」
話がひと段落したのを見計らった安住が、別れの挨拶を口にした。長居は好ましくないと判断したんだろう。
「ああ。じゃまたな」
「早く学校に出てこられるといいね」
「サンキュー」
安住と言葉を交わしつつ横目で渡会をうかがうと、微妙で曖昧な顔つきをしている。
がしかし、すぐにオレの視線に気づき、あっという間に表情を繕ってきた。
「それじゃ、ボクも帰るよ」
「約束、忘れないでくれよ。時間と場所は、改めて連絡するから」
自分の中での作戦予定日は、一週間後の満月。
仕方がない。鬼堂への連絡手段は、ひとりになってから考えよう。
けど……。
マジかよ、鬼堂。おまえを怒らせたのは確かにオレだけど、このままじゃ仕事にならねえじゃん。
ふたりを送りだし、ため息で玄関のドアノブに手をかける。
視線を足元に落とした瞬間、何者かが目の前に立ちはだかり、閉めかけたドアを押しとどめた。
「待たせたな、神座」
そこには、オレの頭の九十九パーセントを占める人物がいた。
「お、おせーぞ、鬼堂!」
「そう言うな。仕事をやりたいんだろう?」
仕事?そういえばそんなことを言ってたっけ。
でも残念。おまえには、こっちの仕事を優先してもらうぜ。
心の中で、人知れずブイサインを高々と掲げた。パートナーであっても、どちらがリーダーシップを取るかは、ある意味競争なのだ。
ところが、天は鬼堂に味方した。持ちかけられた仕事話の内容に、再び愕然としてしまう。
な…なんでまたこのオレが!?
この時ほど、鬼堂とのコンビを解消したいと思ったことはなかった。