◇◇ ボケてんじゃねえのか?−由典サイド ◇◇
惚れ薬って本当にあるんだ。ウソくせぇ!とバカにしたオレがアホでした。いやいや、すみません。
鬼堂からもらった極秘ツールの効果は絶大だった。人外でも有効か?なんて心配も、どうやら取り越し苦労にすぎなかったようだ。
缶コーヒーに、耳かき程度の量を混ぜただけなのに、飲んだ当人はすでにヘロヘロだ。
やったぜ、作戦成功!
勝利を確信したオレだったが、すぐに窮地に追い込まれてしまう。なぜなら、使ったのは惚れ薬だ。効力がこれだけですむわけがない。
いきなり腕を引かれ、「月夜の散歩に行きましょう」と耳元で甘く囁かれた。
けど、耳はマズイ。オレのナイショのウィークポイントだ。たちまち首筋に悪寒が走った。
だが、ここですげなくして、冷静さを取り戻されたら元も子もない。がまん、がまん、と心で唱え、精いっぱいの作り笑顔で応じた。こんなふうに演技ができるなんて、オレってあんがい俳優向きかも。
ところが、敵も一筋縄ではいかない。オレの携帯を奪い取り、電源を勝手に切ろうとする。
あわてて、ここに置いていくからと説得し、かろうじて伝言メモだけは残した。鬼堂のやつなら、このヒントで行き先を特定できると信じて。
「神座くーん、ほらあ見てぇ。月がきれー。なーんだかロマンチックねえ」
目つきだけじゃなく、ロレツも怪しくなっている。意外なことに、高橋さくらは眼鏡を外すとかなりの美人さんだ。無造作な髪型もだけど、眼鏡も野暮な女生徒を演じるための小道具だったんだろう。こいつもきっと女優になれる。こうなったら、関係者一同で劇団でも旗揚げするか。
そんなおバカな考えも、高橋に抱きつかれたせいで頭から消え去った。過剰な刺激を受けて、体がビクッと跳ねてしまう。
「へーえ、今どきっぽいルックスに似合わず純情なのねえ。……まあ、仕方ないっか。私たちと違って、まだ若かったんだっけ。……うふ、可愛い」
カワイイ五十歳。……想像しただけでサムい。
高橋は、オレを人間だと思いこんでいる。なので、見た目と実年齢が一致すると信じて疑わないのだろうが、残念ながらそれは不正解だ。たぶん、オレの方が倍以上生きている。
「ねえ、こんなひと気のないところまで連れてきて、いったいどうするつもり?」
オレは連れてきてねぇ。誘ったのはあんただろうが!
自分勝手な解釈に、思わず手が出そうになる。それでも行動に移さなかったのは、これが鬼堂の作戦だからだ。ここであいつの意にそむけば、今度こそ身の安全は保障されない。
『おまえにぴったりの仕事を持ってきてやった。居所をつかんでいる方のオーガー、高橋さくらをデートに誘いだせ。成功すれば、やつらは単独行動を余儀なくされるだろう。ふたりいっぺんは確かに手強いが、ひとりなら生け捕るのは楽勝だ。この媚薬の助けを借りて口説き落とせ。で、上手く行きそうだったらキスのひとつでもしてやるんだな』
口だけで笑ったあいつの顔が忘れられない。
口説く。
そこまではギリギリよしとしよう。
でも……キス?……こっちははっきり言ってマズいんじゃねえ?だって、それって……。
オレたちヴァンパイアが人間を襲う理由はふたつある。
ひとつは仲間を増やすためで、血を飲むと同時に己の体液を相手に流しこむ。そうすることで、相手の人間はヴァンパイアに変身する。
もうひとつは単なる吸血衝動。こっちは血だけが目的なので、襲った人間はヴァンパイアにならない。ましてや、死ぬわけでもない。
吸血衝動の場合、狙う相手は人間に限らない。同族を含む人外だって例外じゃない。ただその際、相手を仲間に引き入れるのは不可能。さらには、ちょっとばかり勝手が違ってくる。
明白な違いは、求めるのが血じゃなく体液だという点だ。だから、かみつかなくてもオッケー。というより、体液の交流ができればいいので、ぶっちゃけディープキスひとつで事足りる……のだが……。
人の血を受け付けないという情けない事情に加えて、オレにはもうひとつ、他人に話せない秘密がある。
実は、オレの未体験ゾーンは人外にまで及んでいる。つまり、平たく言うとキスの経験ゼロ。したいとも思わないのは、薫子をもって異常とまで言わせたほどだ。
おまけに、この体液の交流というのがくせ者で、相性が悪いとこっちの生命活動に影響が出るらしい。
とはいっても、それで体が散ったなんて話は聞いたことがない。そこまであからさまに差が生じるケースにはなかなかならないのだ。しいて言えば、種族の始祖やその係累が相手だった場合がこれに相当するが、そんな人外には、そうそう出会えるものではない。
さてなー。ここまではどうにか持ちこめたが、本当にこいつにぶちゅーってしろってーの?
いくら鬼堂の命令でも、それだけはカンベンしてほしい。
願わくば、一連のシーンを真里乃(まりの)って女に目撃されて、それが原因で仲間割れ。でもって、戦力が分散したところをいっきに狩る、ってーのが理想なんだけどなあ。
だが、いくらアンテナを張り巡らせてみても、真里乃の気配はまったくない。
このあたりの読みは、悔しいが鬼堂に軍配が上がった感じだ。あいつは初めから勢力分散を予見していた。つまり、高橋は、オレのお誘いを真里乃に報告しないだろうと踏んだのだ。
それならそれでもいいのだが、鬼堂までやって来ないのには困った。できれば、濃厚シーンに突入する前に合流したい。
もうそろそろ追いついてくれてもよさそうなのに。もしかして、ゆーさんが渡会を口説くのに成功したのか?それで、ふたりから目を離せなくなっているとか?
――それは困る!
「神座くん、私……私ね」
「は、はい。……なに?」
なるべく余計な刺激を与えず、かといって素っ気無い態度にならないよう、慎重に受け答えた。さっきから甘ったるい声ばかり出しているせいで、胸焼けがしてきそうだ。
「私……」
辛抱強くそのあとの言葉を待つ。が、すぐさま、待たなきゃよかったと後悔した。
「前からあなたのこと、好きだったの。本気よ。だからいつもあとを付け回していた。部活に誘ったのだって、一緒にいたかったから。……それだけよ」
初めての愛の告白が、自分のターゲットからだなんてサイテーだ。
「だから、あなたから声をかけられて、とても嬉しかった。……ねえ、いいでしょう?」
畳みかけるように許可を求められるが、理解がまるで追いつけない。だが、両手でほおを包みこまれたことで、ようやく我に返った。
こいつ、オレにキスしようとしている。
えーい、男は度胸!命までは取られまい!と覚悟を決め、ギュッと目をつぶったその時――。
高橋が前のめりに倒れた。彼女の後ろに、なぜか渡会の顔がある。
「ギリギリ間に合ったようだね」
「おまえ……どうしてここに?」
「こんな真似をさせて、君はいったいどういうつもりなんだ!」
いきなりの怒号は、オレにではなく、オレの背後へ向けられる。驚き振り向くと、そこには、さっきから待ち続けていた相棒が立っている。
「作戦は、まあまあ成功ってところだな」
「鬼堂……!てめーっ!」
あまりの言いように、止める間もなく手が出た。ところが、オレの拳は空を切っただけだ。それですめばよかったのだが、行き場を失った右手首を逆につかまれ、そのまま思いきり締め上げられてしまう。
「いてっ!いてーよ!バカ!」
文句までもが空振った。怒鳴りつけた相手が、オレを無視して渡会に話しかけたからだ。
「渡会。残念ながら、おまえがこの事件の黒幕ではないと確認できたわけじゃない。……危険人物は狩る。それが僕のモットーだ」
言い終えるや否や、鬼堂が戦闘態勢に入る。応じる渡会も本気のようだ。見ると瞳の色が真紅に変化している。そういえば今夜は満月。渡会もヴァンパイアだから、絶好調そのものなのだろう。
それにしても展開が早すぎだ。詳しい事情はわからないが、真犯人を前に、無用な争いはすべきじゃない。
「ちょ、ちょっと!ふたりとも、ストップ!」
間に割って入ろうとしたオレの目の前を、突然、何者かが横切った。
「うわっ!」
周囲への注意が疎かになったのが敗因だ。風を切る音に続いて、頬に鋭い痛みが走る。次いで、生温かいモノが、口元へダラダラと流れ落ちてきた。
ヴァンパイアは血流も心臓の鼓動もないのに、なんで血は温かいんだろう?
暢気な感想が頭を過ぎった。呆けていると、今度は後頭部に衝撃が走る。こんなバカ力で人を殴れるのは、自分が知る限り、あの女だけだ。
「神座っ!」
鬼堂の驚く顔が最後のビジョンだった。
――そのまま、オレの意識はブラックアウトしてしまった。